広島ツーリング Part 3 ~ 広島から山口へ ~
本日もご覧いただき、ありがとうございます。
楽しかった宴、ほとんど同窓会のような感じでしたが、若い人(と言っても30後半)から還暦の主賓まで賑やかだった昨晩から一夜明けて、今日は憧れの角島まで行くことにしています。
今回泊まったホテル。

屋根つきのガレージにとめさせていただきました。

さて、トップケースもセットして出発です。

この日のスタートのODOは85,777キロ、2日目はほとんどが一般道なので、走行予定距離は300キロ足らずです。

せっかくなので、広島市内をゆっくり流しながら西に向かいます。
途中、路面電車と何台もすれ違いますが、この電車。

この電車はかつて、京都を走っていた京都市電の車両です。
『大文字』の看板がつけられたまま運航しています。
広島電鉄は古い車両のメンテナンスで高い技術を有していて、全国で退役した路面電車がここでいまだ現役で活躍しています。
京都市電の車両では、ほかに『祇園』などの看板を付けた車両も走っているはず。
すごいな、と思うのは、私が広島にいた13年前は、原爆で被爆した車両がまだ現役で広島市民の足になっていたこと。
調べてみると、老朽化が進んでだいぶくたびれているものの、いまだに朝のラッシュ時には助っ人的に稼働しているようです。
かつての京都市電の車両とすれ違ってもう少し西に進むと、相生橋に到着します。
川の両岸と中洲をつなぐ特徴的なT字型をしたこの橋は、米軍が原爆を投下する際の標的にされた橋です。
RTが向いている方角がT字の左側にあたります。

この橋に上がる前(東側)、進行方向に向かって左側に...

原爆ドームがあります。

被爆するまでは産業奨励館でした。
詳細は下の写真の石碑をご覧いただくとして、これだけの人々が瞬時に、無差別に殺戮されたことは、長崎における原爆投下のほかに、近代史において他に例がありません。


さて、気を取り直して、かつて住んでいたところを訪ねてみましょう。
市内から私が住んでいた沼田方面へは、現在はトンネルが通って大変便利になっていますが、かつてはクルマやバイクでは己斐峠というくねくね道を通らないと大きく迂回するルートしかありませんでした。
大きな地図で見る
私が今回通ったルートは、もちろん、かつて通った己斐峠経由の道です。
アストラムラインの大塚駅について西に山の方へ上がっていくと、かつて住んでいたマンションが見えてきます。

A City Towers West。
このマンションは高層棟と低層棟がつながったもので、私たち家族は低層棟に住んでいました。

玄関のエントランスも以前のまま。

裏の駐車場に回ってみます。

相変わらず、他府県、とりわけ関東圏ナンバーが多い。
ここは電車で通うと市内から1時間弱かかるため、広島の地元の人たちはまず住みません。
しかし、関東圏からの転勤族は1時間以内であれば通勤時間は御の字、駐車場には大宮ナンバー、千葉ナンバー、八王子ナンバーまでありました。
あそこでまだ幼稚園の年少さんだった息子が転んで怪我したなとか、冬に雪だるまを作ったな、とか、懐かしさに浸りながらかつての住まいを後にします。
石内バイパス(県道290号線)を走っていると、かつてよく通ったイタリア料理のお店につきました。

マリーザというこの店はピザがとてもおいしく、私たちが住んでいるころにちょうどオープンしたお店でした。
本当はピザ1枚でも食べたかったのですが、時刻は8時過ぎ、まだ営業前でした。
石内バイパスから2号線のバイパスに入り、ひたすら西を目指します。

R434が中国縦貫道と交差するあたりは本当に山深い。

遠くに見えるのが、恐らくR434です。

交差する中国縦貫道のすぐ横に、ちょっと場違いな感じのお地蔵さま。

いや、お地蔵さまが場違いなのではなく、中国縦貫道が場違いなんですよね(^^;

お地蔵さまを通り過ぎるとすぐに気持ちのいい田園風景が広がっています。

夜になったらカエルの大合唱が聞こえそうな...

街灯が全くないので真っ暗でしょうけど...

でも月が出ていたらこの樹の下でオカリナを吹くトトロが出てきそう...

しばらく深呼吸をしてひと休みです。

高津川に架かる橋。

地図で見ると小さな川ですが、橋の上に立ってみるとゆったりと流れる素敵な川です。

ゆっくりゆったり、次に続く~(^^)

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楽しかった宴、ほとんど同窓会のような感じでしたが、若い人(と言っても30後半)から還暦の主賓まで賑やかだった昨晩から一夜明けて、今日は憧れの角島まで行くことにしています。
今回泊まったホテル。

屋根つきのガレージにとめさせていただきました。

さて、トップケースもセットして出発です。

この日のスタートのODOは85,777キロ、2日目はほとんどが一般道なので、走行予定距離は300キロ足らずです。

せっかくなので、広島市内をゆっくり流しながら西に向かいます。
途中、路面電車と何台もすれ違いますが、この電車。

この電車はかつて、京都を走っていた京都市電の車両です。
『大文字』の看板がつけられたまま運航しています。
広島電鉄は古い車両のメンテナンスで高い技術を有していて、全国で退役した路面電車がここでいまだ現役で活躍しています。
京都市電の車両では、ほかに『祇園』などの看板を付けた車両も走っているはず。
すごいな、と思うのは、私が広島にいた13年前は、原爆で被爆した車両がまだ現役で広島市民の足になっていたこと。
調べてみると、老朽化が進んでだいぶくたびれているものの、いまだに朝のラッシュ時には助っ人的に稼働しているようです。
かつての京都市電の車両とすれ違ってもう少し西に進むと、相生橋に到着します。
川の両岸と中洲をつなぐ特徴的なT字型をしたこの橋は、米軍が原爆を投下する際の標的にされた橋です。
RTが向いている方角がT字の左側にあたります。

この橋に上がる前(東側)、進行方向に向かって左側に...

原爆ドームがあります。

被爆するまでは産業奨励館でした。
詳細は下の写真の石碑をご覧いただくとして、これだけの人々が瞬時に、無差別に殺戮されたことは、長崎における原爆投下のほかに、近代史において他に例がありません。


さて、気を取り直して、かつて住んでいたところを訪ねてみましょう。
市内から私が住んでいた沼田方面へは、現在はトンネルが通って大変便利になっていますが、かつてはクルマやバイクでは己斐峠というくねくね道を通らないと大きく迂回するルートしかありませんでした。
大きな地図で見る
私が今回通ったルートは、もちろん、かつて通った己斐峠経由の道です。
アストラムラインの大塚駅について西に山の方へ上がっていくと、かつて住んでいたマンションが見えてきます。

A City Towers West。
このマンションは高層棟と低層棟がつながったもので、私たち家族は低層棟に住んでいました。

玄関のエントランスも以前のまま。

裏の駐車場に回ってみます。

相変わらず、他府県、とりわけ関東圏ナンバーが多い。
ここは電車で通うと市内から1時間弱かかるため、広島の地元の人たちはまず住みません。
しかし、関東圏からの転勤族は1時間以内であれば通勤時間は御の字、駐車場には大宮ナンバー、千葉ナンバー、八王子ナンバーまでありました。
あそこでまだ幼稚園の年少さんだった息子が転んで怪我したなとか、冬に雪だるまを作ったな、とか、懐かしさに浸りながらかつての住まいを後にします。
石内バイパス(県道290号線)を走っていると、かつてよく通ったイタリア料理のお店につきました。

マリーザというこの店はピザがとてもおいしく、私たちが住んでいるころにちょうどオープンしたお店でした。
本当はピザ1枚でも食べたかったのですが、時刻は8時過ぎ、まだ営業前でした。
石内バイパスから2号線のバイパスに入り、ひたすら西を目指します。

R434が中国縦貫道と交差するあたりは本当に山深い。

遠くに見えるのが、恐らくR434です。

交差する中国縦貫道のすぐ横に、ちょっと場違いな感じのお地蔵さま。

いや、お地蔵さまが場違いなのではなく、中国縦貫道が場違いなんですよね(^^;

お地蔵さまを通り過ぎるとすぐに気持ちのいい田園風景が広がっています。

夜になったらカエルの大合唱が聞こえそうな...

街灯が全くないので真っ暗でしょうけど...

でも月が出ていたらこの樹の下でオカリナを吹くトトロが出てきそう...

しばらく深呼吸をしてひと休みです。

高津川に架かる橋。

地図で見ると小さな川ですが、橋の上に立ってみるとゆったりと流れる素敵な川です。

ゆっくりゆったり、次に続く~(^^)

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コメントの投稿
No title
おはようございます!
以前住んでいたところってたまたま近くに来たら必ず寄りたくなりますよね
僕は子供の頃転々としていたのでその気持ちすごいよく分かります (^д^)
いろんな思い出が頭の中を駆け巡りますねぇ…
以前住んでいたところってたまたま近くに来たら必ず寄りたくなりますよね
僕は子供の頃転々としていたのでその気持ちすごいよく分かります (^д^)
いろんな思い出が頭の中を駆け巡りますねぇ…
Re: No title
masaさん、こんにちは。
返信が遅くなってすみませんm(_ _)m
> おはようございます!
> 以前住んでいたところってたまたま近くに来たら必ず寄りたくなりますよね
そうなんですよ。
もう10年も前とは思えないくらい記憶も鮮やかなんですが、やっぱりなんとなく切ない気分にもなりますね。
> 僕は子供の頃転々としていたのでその気持ちすごいよく分かります (^д^)
> いろんな思い出が頭の中を駆け巡りますねぇ…
masaさんもそうだったんですね。
私も親父が転勤族だっので、3年以上同じところに暮らしたことがありません。
もう40年前に住んでいたところに行ったときは、しばし立ち尽くしちゃいましたよ(^^;;
歳をとったのかなあ(^^;;
Kachi//
返信が遅くなってすみませんm(_ _)m
> おはようございます!
> 以前住んでいたところってたまたま近くに来たら必ず寄りたくなりますよね
そうなんですよ。
もう10年も前とは思えないくらい記憶も鮮やかなんですが、やっぱりなんとなく切ない気分にもなりますね。
> 僕は子供の頃転々としていたのでその気持ちすごいよく分かります (^д^)
> いろんな思い出が頭の中を駆け巡りますねぇ…
masaさんもそうだったんですね。
私も親父が転勤族だっので、3年以上同じところに暮らしたことがありません。
もう40年前に住んでいたところに行ったときは、しばし立ち尽くしちゃいましたよ(^^;;
歳をとったのかなあ(^^;;
Kachi//
私は反対に今の地で50数年住んでいるのでw
転勤で各地に故郷が出来るのも良さそうに思えます
でも頻繁に引っ越しは大変ですよねw
転勤で各地に故郷が出来るのも良さそうに思えます
でも頻繁に引っ越しは大変ですよねw
Re: タイトルなし
TREKさん、こんばんは。
> 私は反対に今の地で50数年住んでいるのでw
> 転勤で各地に故郷が出来るのも良さそうに思えます
50年同じところにお住まいなんですか、それもすごいですね~
そういう故郷をお持ちというのは、すごっくうらやましいんですよ。
私は故郷といえるものがないんですよね~
> でも頻繁に引っ越しは大変ですよねw
子供のころはちっとも感じませんでしたが、実際に自分の書体が引越しをしてみると、荷物をまとめるのもたいへんですし、転勤の場合は会社から転勤にからむ費用も出ますが、やっぱり持ち出しが多くて困りますね(^^;
そのかわりに、あちこちに思い出を持てるというのは、それはそれでいいことかな、と最近思ってみたり(^^)
リタイヤしたら、いままで住んだことがあるところを全部回ってみたいです(^^)
Kachi//
> 私は反対に今の地で50数年住んでいるのでw
> 転勤で各地に故郷が出来るのも良さそうに思えます
50年同じところにお住まいなんですか、それもすごいですね~
そういう故郷をお持ちというのは、すごっくうらやましいんですよ。
私は故郷といえるものがないんですよね~
> でも頻繁に引っ越しは大変ですよねw
子供のころはちっとも感じませんでしたが、実際に自分の書体が引越しをしてみると、荷物をまとめるのもたいへんですし、転勤の場合は会社から転勤にからむ費用も出ますが、やっぱり持ち出しが多くて困りますね(^^;
そのかわりに、あちこちに思い出を持てるというのは、それはそれでいいことかな、と最近思ってみたり(^^)
リタイヤしたら、いままで住んだことがあるところを全部回ってみたいです(^^)
Kachi//
No title
写真の路面電車、自分にとっては見慣れた車両ですが・・・京都から来ていたんですね~。
子供の頃は良く乗っていました、懐かしいです。(^-^)
戦中の車両、今でも使われていたりするんですね、部品もないでしょうからメンテナンスが大変そうです・・・確かに、現役で走らせている広島電鉄の工場の技術の高さがうかがえます。
また乗りに行きたくなってきました。(笑)
子供の頃は良く乗っていました、懐かしいです。(^-^)
戦中の車両、今でも使われていたりするんですね、部品もないでしょうからメンテナンスが大変そうです・・・確かに、現役で走らせている広島電鉄の工場の技術の高さがうかがえます。
また乗りに行きたくなってきました。(笑)
Re: No title
るーのぼさん、こんばんは。
> 写真の路面電車、自分にとっては見慣れた車両ですが・・・京都から来ていたんですね~。
> 子供の頃は良く乗っていました、懐かしいです。(^-^)
るーのぼさんも広島にいらっしゃったんですね~
そうなんです、京都の市電が今でも元気に広島で走っているんですよ(^^)、すごいですね。
> 戦中の車両、今でも使われていたりするんですね、部品もないでしょうからメンテナンスが大変そうです・・・確かに、現役で走らせている広島電鉄の工場の技術の高さがうかがえます。
> また乗りに行きたくなってきました。(笑)
広電の技術はすごいらしいですよ。
いちどだけ広島にいるころにそんな特集を見た記憶があります。
さすがに戦時中の車両は老朽化が激しくて大変なようですが、乗ると中に戦時中の電車だという解説が書かれた紙が貼られています。
いまは朝晩のラッシュ時のみ稼働しているようなので、もし機会があったらのぞいてみてください(^^)
きっと時の流れの重みなんかも感じられるかも(^^)
Kachi//
> 写真の路面電車、自分にとっては見慣れた車両ですが・・・京都から来ていたんですね~。
> 子供の頃は良く乗っていました、懐かしいです。(^-^)
るーのぼさんも広島にいらっしゃったんですね~
そうなんです、京都の市電が今でも元気に広島で走っているんですよ(^^)、すごいですね。
> 戦中の車両、今でも使われていたりするんですね、部品もないでしょうからメンテナンスが大変そうです・・・確かに、現役で走らせている広島電鉄の工場の技術の高さがうかがえます。
> また乗りに行きたくなってきました。(笑)
広電の技術はすごいらしいですよ。
いちどだけ広島にいるころにそんな特集を見た記憶があります。
さすがに戦時中の車両は老朽化が激しくて大変なようですが、乗ると中に戦時中の電車だという解説が書かれた紙が貼られています。
いまは朝晩のラッシュ時のみ稼働しているようなので、もし機会があったらのぞいてみてください(^^)
きっと時の流れの重みなんかも感じられるかも(^^)
Kachi//