琵琶湖疏水船 〜蹴上船溜から疎水記念館、蹴上の今昔〜
本日もご覧いただき、ありがとうございます。
疎水第三トンネルの最後で地図の投影が終わってまもなく、蹴上に到着しました。
トンネルの西側出口には三条実美さんの『美哉山河』(うるわしきかなさんが=なんと美しい山河であろう)の扁額が飾られています。

そして、舟が接岸したところには旧御所水道ポンプ室が建っています。

その正面に留まった舟から陸に上がります。

このポンプ室ですが、通常のポンプ室に比べて明らかに豪華な外観です。
赤坂離宮(現在の東京迎賓館)を設計した片山東熊氏の設計だそうで、当時、天皇陛下が京都に来られ、疎水舟に乗られる計画が持ち上がったときに、下船されるところだからちゃんとした建物にしておかねば、ということで建てられたものだそうです。

ただ、そうすると下々の人間が天皇陛下を上から見下ろすことになるためよろしくない、ということで天皇陛下の琵琶湖疎水舟乗船は取り止めになったという経緯があったそう。
でも、こんな立派な建物が後世に残ったのですから、歴史遺産として大事にしていきたいものです。

ここまで私たちを運んでくれて、ありがとうございました。

下船してから、船着き場の敷地の外まで案内していただく間、ガイドをしてくださったチャーリーさんと拙宅の奥さんがあることで盛り上がり、いっしょに記念撮影、チャーリーさんのスマホにも収まっておりました(笑)

この疎水ですが、琵琶湖の疎水入口からここ蹴上の船溜までの落差はわずかに4m足らず。
その間を水が淀むことなくこれだけの距離を通したというその土木技術の高さにも舌を巻きますが、携わった技術者も坑夫の方々もまだ土木技術に関しては未熟だという自覚をお持ちで、日中に工事を行ない、夜は土木技術の勉強をするという、本当に血のにじむような努力をされてこの疎水を完成させました。
そうやって、工期わずかに4年8ヶ月で完成させたという、これも驚きです。
また、疎水の設置にあたっては、若くして工事責任者に抜擢された田辺朔郎氏は、米国に視察した際、すでに彼の国では水力発電が盛んで、そこで発電された電力で工場操業、電車運行など、市民生活、国力の劇的な増強が図られているのを目の当たりにして、この疎水も電力発電に利用しない手はないと当時の北垣国道京都府知事を説得し、蹴上の水力発電所も造るという先見の明も発揮しました。
この船溜の先にあるインクラインも、そうして発電された電力で蹴上の船溜から陸路を舟を運び、南禅寺船溜まで荷物を下ろすことなく舟を運航させることができるようになり、船運による物資輸送に多大な貢献をしました。
こうして、東京遷都後に人口が激減した京都は息を吹き返し、疎水完成後は年を追うごとに人口は増えていくことになり、後年、第二疎水が増設されました。
その第二疎水は主に飲料水の供給を目的としていたため、その大半がトンネルの中を通っていてほとんど見ることはできないようです。

その第二疎水の増設に大きな役割を担ったのが、西郷隆盛の息子、菊次郎さんでした。

この琵琶湖第一疎水の設計をした田邊朔郎さん。
弱冠23歳でその重責に抜擢されたことがその優秀さを物語っていますが、その抜擢の理由の一つが、彼が卒業論文に書いた疎水開発計画だったと言うから二重に驚きです。

せっかく色んなお話を聴けたので、ここは疎水記念館に行かない手はない。
蹴上船溜を離れて橋を渡る頃には、私たちが乗ってきた舟は方向転換をして疎水を上っていく準備を完了したところでした。

インクラインの方に歩いていきます。
ここで蹴上船溜から陸のインクラインに舟が陸揚げされます。

そこからは左手に蹴上の浄水場が見え、更に数百メートル北北西に進んで三条通りが仁王門通と分岐するところには蹴上発電所があって、今でも発電を行なっています。

蹴上蘇水公園までやってきました。
ここにはこの疎水の生みの親と言っていい田邊朔郎博士の像が立っています。
昭和19年に亡くなるまでお元気だったようで、ここ疎水の他にも関門海底トンネルにも関わられたそうです。
まさに日本の土木技術の父と言っていいような方ですね。

このインクラインが生きているときは、ここで舟がインクラインから南禅寺船溜に放されていたのでしょうね。こういうところはぜひ往年の姿を留めておいてほしいなと思うのは贅沢なのかなぁ。。

これは疎水記念館を見学したあと、外に出てから撮った写真ではありますが、三条通から仁王門通にそれて、さらに南禅寺前の交差点を白川通に入ったところで見える記念館の姿です。

インクラインの橋の下から上がっても記念館に入ることができます。
嬉しいことに入場無料です。

巨大なジオラマが展示されていました。
『現在地』と書かれた記念館から手前方向に伸びているのが白川通、ほぼ真北に上ったあと、少し東にそれてさらに北上している道です。
線路が走っているのが三条通、今では路面電車は地下鉄化されて姿は見えませんが、つい30年くらい前までは地上を走っていました。
『蹴上インクライン』の看板があるところから左上に向かって走っている線路がインクラインで、我々が下船した蹴上船溜がかなり上の方にあるのが実感できます。
また、疎水からパイプラインがけっこうな角度で下ってきて、蹴上第一発電所に入っている、その位置関係がよく分かるように作られています(中央少し上のあたり)。

蹴上船溜から第一発電所あたりをちょっとアップで。
この方が上で書いたパイプラインと発電所がよく見えますね。
インクラインの上の端っこの蹴上船溜から左の方向に水路のようなものが走っているのが見えますが、あれが有名な南禅寺の『水路閣』に向かう疎水の水路です。
スゴイなと思うのは、ここから哲学の道に沿ってこの疎水は北の方に向かって流れていき、今出川通で西に方向転換するように走っていることです。
京都市の土地は北から南に向かって下っているので、その下り坂に影響されないように、山裾を上手に北に向かって下るような水路(疎水)を造ったということで、これも驚くべきことだと思います。

琵琶湖疏水の第一トンネルの中で、竪穴から水が降ってきていたところの断面図です。
実際の竪穴口の地上の写真を見るとあんなに大量の水が流れ込むような構造には見えないので、おそらくは竪穴に地層から水が流れ込んでいるのでしょうね。

疎水記念館の展望室から見えるこの風景...

『第四回内国勧業博覧会開催時の鴨東運河』と書かれているので、1895年、およそ130年前の写真と比べられます。
昔の写真のほうが少し高い位置から撮られているので、おそらくはなにか櫓のようなものを建ててそこから撮影したものと思われます。
印象的なのは、昔の写真に写っている建物がみな低いことですが、疎水延長線の右上に写っているのがたぶん嵐山、昔の写真もいまの写真も同じ形をしていることになんとなく感じ入ってしまいます。

疎水記念館を見ているうちにふたりともお腹が空いてきた。
ちょっと湯豆腐でも頂こうか、と南禅寺方面に歩いていきます。
流石に水が豊か、疎水から引かれていると思われる水がこんなところにも流れている。

眼下のインクラインでは若いカップルが着物を着て写真撮影に勤しんでいますね(^^)

南禅寺界隈は修学旅行生と思われる学生さんでも賑わっています。
石川五右衛門が『絶景かな絶景かな』と喜んだと言われる南禅寺の三門です。

やってきたのは南禅寺 順正。高級とされますが、お昼はリーズナブルに食べられます。

いやあ、ご馳走様でした、お腹いっぱいになりました。
この日は、夜は殆どいらないくらい満腹になりましたわ、食えなくなったなぁ(^^;

ここはお庭も素敵ですよ。
庭を流れるせせらぎは当然、疎水から引かれた水です。

お食事のあとは奥さんがお気に入りの町家を改造したブルーボトルカフェでまったり。

町家の内壁を外していい雰囲気です。

カウンタもスッキリ素敵ですよ。
店員の若い男性も女性もナイスでいいですね〜

小一時間、おしゃべりしてカフェラテを飲んで、おいとま。
また来ますね〜

こうして久しぶりの(でもないか)お出かけは楽しく終了。
東大路まで歩いて、バスに乗って帰りました。
しかし、こうやって歴史遺産に気軽に触れられるのって素敵ですね。
京都は平安の昔から、近代の黎明期まで見どころがたくさんで何年いてもなかなか見きれるものではありません。
これって幸せ、贅沢なことですよね?


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疎水第三トンネルの最後で地図の投影が終わってまもなく、蹴上に到着しました。
トンネルの西側出口には三条実美さんの『美哉山河』(うるわしきかなさんが=なんと美しい山河であろう)の扁額が飾られています。

そして、舟が接岸したところには旧御所水道ポンプ室が建っています。

その正面に留まった舟から陸に上がります。

このポンプ室ですが、通常のポンプ室に比べて明らかに豪華な外観です。
赤坂離宮(現在の東京迎賓館)を設計した片山東熊氏の設計だそうで、当時、天皇陛下が京都に来られ、疎水舟に乗られる計画が持ち上がったときに、下船されるところだからちゃんとした建物にしておかねば、ということで建てられたものだそうです。

ただ、そうすると下々の人間が天皇陛下を上から見下ろすことになるためよろしくない、ということで天皇陛下の琵琶湖疎水舟乗船は取り止めになったという経緯があったそう。
でも、こんな立派な建物が後世に残ったのですから、歴史遺産として大事にしていきたいものです。

ここまで私たちを運んでくれて、ありがとうございました。

下船してから、船着き場の敷地の外まで案内していただく間、ガイドをしてくださったチャーリーさんと拙宅の奥さんがあることで盛り上がり、いっしょに記念撮影、チャーリーさんのスマホにも収まっておりました(笑)

この疎水ですが、琵琶湖の疎水入口からここ蹴上の船溜までの落差はわずかに4m足らず。
その間を水が淀むことなくこれだけの距離を通したというその土木技術の高さにも舌を巻きますが、携わった技術者も坑夫の方々もまだ土木技術に関しては未熟だという自覚をお持ちで、日中に工事を行ない、夜は土木技術の勉強をするという、本当に血のにじむような努力をされてこの疎水を完成させました。
そうやって、工期わずかに4年8ヶ月で完成させたという、これも驚きです。
また、疎水の設置にあたっては、若くして工事責任者に抜擢された田辺朔郎氏は、米国に視察した際、すでに彼の国では水力発電が盛んで、そこで発電された電力で工場操業、電車運行など、市民生活、国力の劇的な増強が図られているのを目の当たりにして、この疎水も電力発電に利用しない手はないと当時の北垣国道京都府知事を説得し、蹴上の水力発電所も造るという先見の明も発揮しました。
この船溜の先にあるインクラインも、そうして発電された電力で蹴上の船溜から陸路を舟を運び、南禅寺船溜まで荷物を下ろすことなく舟を運航させることができるようになり、船運による物資輸送に多大な貢献をしました。
こうして、東京遷都後に人口が激減した京都は息を吹き返し、疎水完成後は年を追うごとに人口は増えていくことになり、後年、第二疎水が増設されました。
その第二疎水は主に飲料水の供給を目的としていたため、その大半がトンネルの中を通っていてほとんど見ることはできないようです。

その第二疎水の増設に大きな役割を担ったのが、西郷隆盛の息子、菊次郎さんでした。

この琵琶湖第一疎水の設計をした田邊朔郎さん。
弱冠23歳でその重責に抜擢されたことがその優秀さを物語っていますが、その抜擢の理由の一つが、彼が卒業論文に書いた疎水開発計画だったと言うから二重に驚きです。

せっかく色んなお話を聴けたので、ここは疎水記念館に行かない手はない。
蹴上船溜を離れて橋を渡る頃には、私たちが乗ってきた舟は方向転換をして疎水を上っていく準備を完了したところでした。

インクラインの方に歩いていきます。
ここで蹴上船溜から陸のインクラインに舟が陸揚げされます。

そこからは左手に蹴上の浄水場が見え、更に数百メートル北北西に進んで三条通りが仁王門通と分岐するところには蹴上発電所があって、今でも発電を行なっています。

蹴上蘇水公園までやってきました。
ここにはこの疎水の生みの親と言っていい田邊朔郎博士の像が立っています。
昭和19年に亡くなるまでお元気だったようで、ここ疎水の他にも関門海底トンネルにも関わられたそうです。
まさに日本の土木技術の父と言っていいような方ですね。

このインクラインが生きているときは、ここで舟がインクラインから南禅寺船溜に放されていたのでしょうね。こういうところはぜひ往年の姿を留めておいてほしいなと思うのは贅沢なのかなぁ。。

これは疎水記念館を見学したあと、外に出てから撮った写真ではありますが、三条通から仁王門通にそれて、さらに南禅寺前の交差点を白川通に入ったところで見える記念館の姿です。

インクラインの橋の下から上がっても記念館に入ることができます。
嬉しいことに入場無料です。

巨大なジオラマが展示されていました。
『現在地』と書かれた記念館から手前方向に伸びているのが白川通、ほぼ真北に上ったあと、少し東にそれてさらに北上している道です。
線路が走っているのが三条通、今では路面電車は地下鉄化されて姿は見えませんが、つい30年くらい前までは地上を走っていました。
『蹴上インクライン』の看板があるところから左上に向かって走っている線路がインクラインで、我々が下船した蹴上船溜がかなり上の方にあるのが実感できます。
また、疎水からパイプラインがけっこうな角度で下ってきて、蹴上第一発電所に入っている、その位置関係がよく分かるように作られています(中央少し上のあたり)。

蹴上船溜から第一発電所あたりをちょっとアップで。
この方が上で書いたパイプラインと発電所がよく見えますね。
インクラインの上の端っこの蹴上船溜から左の方向に水路のようなものが走っているのが見えますが、あれが有名な南禅寺の『水路閣』に向かう疎水の水路です。
スゴイなと思うのは、ここから哲学の道に沿ってこの疎水は北の方に向かって流れていき、今出川通で西に方向転換するように走っていることです。
京都市の土地は北から南に向かって下っているので、その下り坂に影響されないように、山裾を上手に北に向かって下るような水路(疎水)を造ったということで、これも驚くべきことだと思います。

琵琶湖疏水の第一トンネルの中で、竪穴から水が降ってきていたところの断面図です。
実際の竪穴口の地上の写真を見るとあんなに大量の水が流れ込むような構造には見えないので、おそらくは竪穴に地層から水が流れ込んでいるのでしょうね。

疎水記念館の展望室から見えるこの風景...

『第四回内国勧業博覧会開催時の鴨東運河』と書かれているので、1895年、およそ130年前の写真と比べられます。
昔の写真のほうが少し高い位置から撮られているので、おそらくはなにか櫓のようなものを建ててそこから撮影したものと思われます。
印象的なのは、昔の写真に写っている建物がみな低いことですが、疎水延長線の右上に写っているのがたぶん嵐山、昔の写真もいまの写真も同じ形をしていることになんとなく感じ入ってしまいます。

疎水記念館を見ているうちにふたりともお腹が空いてきた。
ちょっと湯豆腐でも頂こうか、と南禅寺方面に歩いていきます。
流石に水が豊か、疎水から引かれていると思われる水がこんなところにも流れている。

眼下のインクラインでは若いカップルが着物を着て写真撮影に勤しんでいますね(^^)

南禅寺界隈は修学旅行生と思われる学生さんでも賑わっています。
石川五右衛門が『絶景かな絶景かな』と喜んだと言われる南禅寺の三門です。

やってきたのは南禅寺 順正。高級とされますが、お昼はリーズナブルに食べられます。

いやあ、ご馳走様でした、お腹いっぱいになりました。
この日は、夜は殆どいらないくらい満腹になりましたわ、食えなくなったなぁ(^^;

ここはお庭も素敵ですよ。
庭を流れるせせらぎは当然、疎水から引かれた水です。

お食事のあとは奥さんがお気に入りの町家を改造したブルーボトルカフェでまったり。

町家の内壁を外していい雰囲気です。

カウンタもスッキリ素敵ですよ。
店員の若い男性も女性もナイスでいいですね〜

小一時間、おしゃべりしてカフェラテを飲んで、おいとま。
また来ますね〜

こうして久しぶりの(でもないか)お出かけは楽しく終了。
東大路まで歩いて、バスに乗って帰りました。
しかし、こうやって歴史遺産に気軽に触れられるのって素敵ですね。
京都は平安の昔から、近代の黎明期まで見どころがたくさんで何年いてもなかなか見きれるものではありません。
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No title
Kachiさんのブログを拝見していると、京都は神社仏閣だけでは無いんだな~
というのが分かります。
京都はまたオーバーツーリズム気味だというニュースを見ましたが、Kachiさんのブログをみているだけだとそんな感じもしませんね~
というのが分かります。
京都はまたオーバーツーリズム気味だというニュースを見ましたが、Kachiさんのブログをみているだけだとそんな感じもしませんね~
Re: No title
ganmodokiさん、こんばんは(^^)
> Kachiさんのブログを拝見していると、京都は神社仏閣だけでは無いんだな~
> というのが分かります。
恐れ入ります(^^)
たしかに京都は神社仏閣だけじゃないんですよね。
特に近代のものは、この疎水など現在でも市民の生活に密接に繋がっているものがあるので先人の心意気を今でも感じることができるんですよね(^^)
> 京都はまたオーバーツーリズム気味だというニュースを見ましたが、Kachiさんのブログをみているだけだとそんな感じもしませんね~
あ〜、それはたまたま人が少ないところだっただけかなと思います。
もうね、嵐山や清水さん、金閣寺や祇園の花見小路などのメジャーどころはそりゃもうタイヘンな観光客ですよ。
花見小路なんて日本語よりも中国語や韓国語、あまり聞き覚えのないおそらく東南アジア系の言葉しか聞こえてこないんです、もう日本じゃないって感じですよ。
観光客が来たほうが観光産業はうるおいますが、これは世間で言われるとおり、オーバーツーリズムだと思いますねぇ。
地元民からすると、昔から言っている贔屓にしている店が観光客に占領されてしまってかなわんというのが本音ですねぇ。
難しいところです。
Kachi//
> Kachiさんのブログを拝見していると、京都は神社仏閣だけでは無いんだな~
> というのが分かります。
恐れ入ります(^^)
たしかに京都は神社仏閣だけじゃないんですよね。
特に近代のものは、この疎水など現在でも市民の生活に密接に繋がっているものがあるので先人の心意気を今でも感じることができるんですよね(^^)
> 京都はまたオーバーツーリズム気味だというニュースを見ましたが、Kachiさんのブログをみているだけだとそんな感じもしませんね~
あ〜、それはたまたま人が少ないところだっただけかなと思います。
もうね、嵐山や清水さん、金閣寺や祇園の花見小路などのメジャーどころはそりゃもうタイヘンな観光客ですよ。
花見小路なんて日本語よりも中国語や韓国語、あまり聞き覚えのないおそらく東南アジア系の言葉しか聞こえてこないんです、もう日本じゃないって感じですよ。
観光客が来たほうが観光産業はうるおいますが、これは世間で言われるとおり、オーバーツーリズムだと思いますねぇ。
地元民からすると、昔から言っている贔屓にしている店が観光客に占領されてしまってかなわんというのが本音ですねぇ。
難しいところです。
Kachi//
No title
旧跡の観光案内有難うございました^_^
京都は名所旧跡がいっぱいで、ホント贅沢ですよ~(笑)
こういう所は、ぜひお着物で^_^
京都は名所旧跡がいっぱいで、ホント贅沢ですよ~(笑)
こういう所は、ぜひお着物で^_^
Re: No title
yosiさん、こんばんは(^^)
> 旧跡の観光案内有難うございました^_^
> 京都は名所旧跡がいっぱいで、ホント贅沢ですよ~(笑)
やっぱりそうですよね〜
だって、寺社仏閣なんて自転車で回れちゃうんだもの(^^)
ありがたやありがたや(^^)
> こういう所は、ぜひお着物で^_^
おっと、そうきましたか(笑)
やっぱり舟に乗るときはドボンに備えて着物はヤバいですwww
今回は、時代が明治に入っているので、ドレスの方がいいかも?(^^)
Kachi//
> 旧跡の観光案内有難うございました^_^
> 京都は名所旧跡がいっぱいで、ホント贅沢ですよ~(笑)
やっぱりそうですよね〜
だって、寺社仏閣なんて自転車で回れちゃうんだもの(^^)
ありがたやありがたや(^^)
> こういう所は、ぜひお着物で^_^
おっと、そうきましたか(笑)
やっぱり舟に乗るときはドボンに備えて着物はヤバいですwww
今回は、時代が明治に入っているので、ドレスの方がいいかも?(^^)
Kachi//
No title
おはよです。
素敵なツアーでしたね。
> こういうところはぜひ往年の姿を留めておいてほしいなと思うのは贅沢なのかなぁ。。
いえいえ、市民の生活に支障が出る訳ではないのですから、是非残しておいて欲しいものですね。
> せっかく色んなお話を聴けたので、ここは疎水記念館に行かない手はない。
そうですそうです。私もダムに行った時は、資料館寄ります。
歴史や技術を知ると、より愛着?沸きますよね。☺️
ポンプ室、カッコイイ〜〜😁
意外と日本の技術(江戸時代の和算とか)も結構高いものもあったんですが、電気(発電)などは、大きく立ち遅れてた分野でしたからね(平賀源内の力及ばず?)。
田邊朔郎氏に拍手喝采👏👏
素敵なツアーでしたね。
> こういうところはぜひ往年の姿を留めておいてほしいなと思うのは贅沢なのかなぁ。。
いえいえ、市民の生活に支障が出る訳ではないのですから、是非残しておいて欲しいものですね。
> せっかく色んなお話を聴けたので、ここは疎水記念館に行かない手はない。
そうですそうです。私もダムに行った時は、資料館寄ります。
歴史や技術を知ると、より愛着?沸きますよね。☺️
ポンプ室、カッコイイ〜〜😁
意外と日本の技術(江戸時代の和算とか)も結構高いものもあったんですが、電気(発電)などは、大きく立ち遅れてた分野でしたからね(平賀源内の力及ばず?)。
田邊朔郎氏に拍手喝采👏👏
Re: No title
ShimaQさん、連投ありがとうございます(^^)
> おはよです。
>
> 素敵なツアーでしたね。
>
> > こういうところはぜひ往年の姿を留めておいてほしいなと思うのは贅沢なのかなぁ。。
> いえいえ、市民の生活に支障が出る訳ではないのですから、是非残しておいて欲しいものですね。
そうですよね〜
ちょっとインクラインの最後の南禅寺船溜への投入路は残念だったんですよ。
あそこはもう少しなんとかしてほしかったのですが、まあ仕方ないのかなぁ(^^;
> > せっかく色んなお話を聴けたので、ここは疎水記念館に行かない手はない。
> そうですそうです。私もダムに行った時は、資料館寄ります。
> 歴史や技術を知ると、より愛着?沸きますよね。☺️
誠におっしゃるとおりで、愛着もそうですし、感動も倍増しますね〜
それと、昔の重機もないところでこんな大事業を成し遂げたことを思うと、自分の今の悩みがいかに小さいかって感じもするんですよね〜
どうもアマちゃんいなってしまっているみたい(^^;
> ポンプ室、カッコイイ〜〜😁
> 意外と日本の技術(江戸時代の和算とか)も結構高いものもあったんですが、電気(発電)などは、大きく立ち遅れてた分野でしたからね(平賀源内の力及ばず?)。
> 田邊朔郎氏に拍手喝采👏👏
あのころの建物っていちいち造形が美しく凝っていて、感心するんですよね。
発電はねぇ、平賀源内のエレキテル?
まあ、電気自体がまだ黎明期だったんでしょうけど、そのビハインドから追い上げた先人はスゴイですよね〜
田邊朔郎の米国視察による方向転換が大きな影響を果たしたんですね、スゴイです。
Kachi//
> おはよです。
>
> 素敵なツアーでしたね。
>
> > こういうところはぜひ往年の姿を留めておいてほしいなと思うのは贅沢なのかなぁ。。
> いえいえ、市民の生活に支障が出る訳ではないのですから、是非残しておいて欲しいものですね。
そうですよね〜
ちょっとインクラインの最後の南禅寺船溜への投入路は残念だったんですよ。
あそこはもう少しなんとかしてほしかったのですが、まあ仕方ないのかなぁ(^^;
> > せっかく色んなお話を聴けたので、ここは疎水記念館に行かない手はない。
> そうですそうです。私もダムに行った時は、資料館寄ります。
> 歴史や技術を知ると、より愛着?沸きますよね。☺️
誠におっしゃるとおりで、愛着もそうですし、感動も倍増しますね〜
それと、昔の重機もないところでこんな大事業を成し遂げたことを思うと、自分の今の悩みがいかに小さいかって感じもするんですよね〜
どうもアマちゃんいなってしまっているみたい(^^;
> ポンプ室、カッコイイ〜〜😁
> 意外と日本の技術(江戸時代の和算とか)も結構高いものもあったんですが、電気(発電)などは、大きく立ち遅れてた分野でしたからね(平賀源内の力及ばず?)。
> 田邊朔郎氏に拍手喝采👏👏
あのころの建物っていちいち造形が美しく凝っていて、感心するんですよね。
発電はねぇ、平賀源内のエレキテル?
まあ、電気自体がまだ黎明期だったんでしょうけど、そのビハインドから追い上げた先人はスゴイですよね〜
田邊朔郎の米国視察による方向転換が大きな影響を果たしたんですね、スゴイです。
Kachi//