野口英世の足跡と鶴ヶ城
本日もご覧いただき、ありがとうございます。
五色沼を歩いてお腹が空きました。
さてどこに行こうかなと考えていたら、奥さんがお蕎麦屋さんを見つけてくれました。
蕎麦古屋(そばごや)というお店です。
ホテルに置いてあったクルマに乗ってすぐに到着。

古い農家のおうちという趣の店内、昔ながらのそばを作る道具があったり、こんな囲炉裏だってあります。

頼んだのは3人とも天ぷら蕎麦。

いやあ、これは美味しかった。
ごちそうさまでした。

ちょっとお店の中を見回していたら、磐梯山の噴火で桧原湖に沈んだ村の地図がありました。
こんな集落だったんですねぇ。

このお店は高いところにあったのでかろうじて難を逃れた、という形のようですね。

まさか磐梯山がそれほど大規模に爆発するなんて、地震予知なんて技術もないころには予想もできず、どこに住むかが運命を分けた。
何しろ、店のすぐ下には桧原湖の湖面が広がっているのです。

冬はもうすぐそこですね。

そのあと、湖の反対側にある『磐梯山噴火記念館』にやってきました。
その道を挟んで反対側に併設されている『磐梯山3Dワールド』では3Dメガネを使って磐梯山の四季などがリアルに再現された映像を見ることができます。
奥さん、なんだか月光仮面みたい(笑)

ここにも磐梯山の噴火前後の、これはイラストですが、山容が描かれているボードがありました。
五色沼のビジターセンターの模型よりもこちらのほうがわかりやすい。

こうやって観ると、山体崩壊を起こした山の裾野の盆地は広範囲にわたって崩壊した山の土砂で埋められているのがわかります。
この図では上が南の方、下が北で、手前の湖が桧原湖ですが、先程食事をしたお蕎麦屋さんは桧原湖の北の端のところ、山体崩壊の土砂にまることもなく、せき止められた水が湖を形成した時に水に沈まずに難を逃れたところに建っていたことがわかります。

3Dワールドには展望台があって、そこから磐梯山の全容が見えます。実に雄大。

けっこういい時間になったのでホテルに戻り、ホテルのカフェでまったり。


夜は、もう過ぎてしまったのですが息子の誕生日のお祝いということでホテルの和食ディナーを奮発してお祝いしました。
しかし、残念ながら、このホテルのディナーはハズレ。
だいたい出てくるお料理は写真を撮るものですが、撮ったのは最初のこの一枚だけ、かなり残念な内容でした、息子よゴメンよ(^^;

息子はぜんぜん気にしていなかったようですが、これはどこか美味しいところを見つけて再挑戦しないとね、と次の日の朝を迎えます。
朝のバイキングはいいんだよな、種類は多いし、味だっていいんですよ。
ベーコンなんて、ワタシ大好きなもんだからブロックを取ってきたのかって笑われるくらい取っちゃって(^^;
スタッフだってキビキビ動いていて気持ちいいし、あのディナーはナンだったんだ。

3日めは野口英世記念館です。

ここは入り口でQRコードを読んでスマホで案内を聴くことができます。
これいいアイディアだよな。

内部は写真不可なので後の方の外の様子しかありませんが、なかなか見ごたえのある展示内容でした。

外には野口英世の生家が残っていまして、これ、どこにも移築と書かれていなかったので、もともとここにあったのかも?
ただ、基礎はコンクリで固められているようなので、そうとうに手は入っているのでしょう。

郵便配達員の家だったといいますが、いまのおうちの基準から言ってもかなり立派なお家です。

これが、誰もが知る野口英世の人生を大きく変えた出来事を表す展示。
1歳のときに囲炉裏に落ちて左手に大やけどを追ってしまった出来事を示しています。

実は私も4歳くらいのときに、寒い外から帰ってきたときに何を思ったのか火のついたAladdinのストーブの上に両手のひらをおいてしまって大やけどを負ったのですが、母親が英世の手がやけどを負ったときに包帯で全体を覆ったために癒着してしまい、後に手術を受けて分離されるまで重い障害を負ってしまったことを知っていたため、指一本一本をていねいに治療してくれたため、無事成長できたことはありがたいことです。

しかし、英世の場合は分離手術を受けたとはいえ、手指が固まった状態で2歳から16歳まで動かせなかったから、たぶん完全な機能回復はできなかったことでしょう。
この手術で医学の凄さを目の当たりにした英世は医学を志すのですが、その彼が19歳で上京するときに家の柱に刻んだのがこれ。
『志を得ざれば再び此地を踏まず』
19歳ですよ、この決意の固さには脱帽としか言えません。

あそこの柱に刻んだようです。

こういう生家の様子ももちろんいいのですが、まだ行かれたことがない方には、ぜひ野口英世さんの成し遂げたものとそれが今の医療にどれほどの影響を与え、遺しているのかをご覧いただければと思います。
記念館を出たあと、カフェを目指します。
向かったのは造り酒屋末廣が運営するカフェ。

クラシックカメラ博物館も併設されているということで、息子といっしょに盛り上がって入ったのですが、残念ながら博物館は休館中でした(^^;

それでもケーキ類は美味しかった。
このシフォンケーキは、造り酒屋らしく日本酒を染み込ませてものもあったのですが、運転担当の私は酒抜きのものをオーダー、奥さんと息子は酒入りのを美味しそうに食べていました。

まあ私はもともとお酒が飲めず、痛くも痒くもないのでいいんだ。
ウィンナコーヒが飲めたらそれでいいもんね(^^)

奥さんがお土産見ている間に私は店内を観察。
この空間、ステキですね〜

なかなか重厚な外観の老舗です。
しかしクラシックカメラ博物館が観られなかったのは残念。

今日の締めは鶴ヶ城です。
ここには茶室麟閣があって、奥さんがぜひ行ってみたい、といっていたところ。

この石垣。
11年前の東日本大震災ではこの近辺も相当揺れたはずですが、この石垣ががっしりと組まれていて崩れることはなかったようです。

碧天にそびえる天守。

もうだいぶ陽が西に傾いている、このときでほぼ15:30。

さて茶室麟閣です。



水琴窟で鳥が水浴びをしています。かわいい。

日々是好日。

この炉の切り方、拙宅の奥さんはこれを観て喜びました。
その理由はまたいつか。

ここは外からしか観られない。



お茶をいただけるところから観た天守。

日が陰ってきているので、こういう色彩も濃くて渋さを感じます。

さて、お茶をいただきましょう。


このお懐紙の画のキャラクタ、大内宿の木の枝にぶら下がっていましたね。

息子が珍しくかしこまっている。

そう、そっちのほうがいいと思うよ。

おなかすいたね〜

もう16:00前になっちゃった。
空が美しいね。

やっぱり光は上から来るよりも横から来る方がいい。


ここで意外なことに、息子が『赤べこがほしい』と言い出した。
でやってきたのが鈴善さん。

会津塗の老舗です。


ここで息子は赤べこを、拙宅は箸を3膳所望いたしまして、これから夕食のリベンジに向かいます(^^)

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五色沼を歩いてお腹が空きました。
さてどこに行こうかなと考えていたら、奥さんがお蕎麦屋さんを見つけてくれました。
蕎麦古屋(そばごや)というお店です。
ホテルに置いてあったクルマに乗ってすぐに到着。

古い農家のおうちという趣の店内、昔ながらのそばを作る道具があったり、こんな囲炉裏だってあります。

頼んだのは3人とも天ぷら蕎麦。

いやあ、これは美味しかった。
ごちそうさまでした。

ちょっとお店の中を見回していたら、磐梯山の噴火で桧原湖に沈んだ村の地図がありました。
こんな集落だったんですねぇ。

このお店は高いところにあったのでかろうじて難を逃れた、という形のようですね。

まさか磐梯山がそれほど大規模に爆発するなんて、地震予知なんて技術もないころには予想もできず、どこに住むかが運命を分けた。
何しろ、店のすぐ下には桧原湖の湖面が広がっているのです。

冬はもうすぐそこですね。

そのあと、湖の反対側にある『磐梯山噴火記念館』にやってきました。
その道を挟んで反対側に併設されている『磐梯山3Dワールド』では3Dメガネを使って磐梯山の四季などがリアルに再現された映像を見ることができます。
奥さん、なんだか月光仮面みたい(笑)

ここにも磐梯山の噴火前後の、これはイラストですが、山容が描かれているボードがありました。
五色沼のビジターセンターの模型よりもこちらのほうがわかりやすい。

こうやって観ると、山体崩壊を起こした山の裾野の盆地は広範囲にわたって崩壊した山の土砂で埋められているのがわかります。
この図では上が南の方、下が北で、手前の湖が桧原湖ですが、先程食事をしたお蕎麦屋さんは桧原湖の北の端のところ、山体崩壊の土砂にまることもなく、せき止められた水が湖を形成した時に水に沈まずに難を逃れたところに建っていたことがわかります。

3Dワールドには展望台があって、そこから磐梯山の全容が見えます。実に雄大。

けっこういい時間になったのでホテルに戻り、ホテルのカフェでまったり。


夜は、もう過ぎてしまったのですが息子の誕生日のお祝いということでホテルの和食ディナーを奮発してお祝いしました。
しかし、残念ながら、このホテルのディナーはハズレ。
だいたい出てくるお料理は写真を撮るものですが、撮ったのは最初のこの一枚だけ、かなり残念な内容でした、息子よゴメンよ(^^;

息子はぜんぜん気にしていなかったようですが、これはどこか美味しいところを見つけて再挑戦しないとね、と次の日の朝を迎えます。
朝のバイキングはいいんだよな、種類は多いし、味だっていいんですよ。
ベーコンなんて、ワタシ大好きなもんだからブロックを取ってきたのかって笑われるくらい取っちゃって(^^;
スタッフだってキビキビ動いていて気持ちいいし、あのディナーはナンだったんだ。

3日めは野口英世記念館です。

ここは入り口でQRコードを読んでスマホで案内を聴くことができます。
これいいアイディアだよな。

内部は写真不可なので後の方の外の様子しかありませんが、なかなか見ごたえのある展示内容でした。

外には野口英世の生家が残っていまして、これ、どこにも移築と書かれていなかったので、もともとここにあったのかも?
ただ、基礎はコンクリで固められているようなので、そうとうに手は入っているのでしょう。

郵便配達員の家だったといいますが、いまのおうちの基準から言ってもかなり立派なお家です。

これが、誰もが知る野口英世の人生を大きく変えた出来事を表す展示。
1歳のときに囲炉裏に落ちて左手に大やけどを追ってしまった出来事を示しています。

実は私も4歳くらいのときに、寒い外から帰ってきたときに何を思ったのか火のついたAladdinのストーブの上に両手のひらをおいてしまって大やけどを負ったのですが、母親が英世の手がやけどを負ったときに包帯で全体を覆ったために癒着してしまい、後に手術を受けて分離されるまで重い障害を負ってしまったことを知っていたため、指一本一本をていねいに治療してくれたため、無事成長できたことはありがたいことです。

しかし、英世の場合は分離手術を受けたとはいえ、手指が固まった状態で2歳から16歳まで動かせなかったから、たぶん完全な機能回復はできなかったことでしょう。
この手術で医学の凄さを目の当たりにした英世は医学を志すのですが、その彼が19歳で上京するときに家の柱に刻んだのがこれ。
『志を得ざれば再び此地を踏まず』
19歳ですよ、この決意の固さには脱帽としか言えません。

あそこの柱に刻んだようです。

こういう生家の様子ももちろんいいのですが、まだ行かれたことがない方には、ぜひ野口英世さんの成し遂げたものとそれが今の医療にどれほどの影響を与え、遺しているのかをご覧いただければと思います。
記念館を出たあと、カフェを目指します。
向かったのは造り酒屋末廣が運営するカフェ。

クラシックカメラ博物館も併設されているということで、息子といっしょに盛り上がって入ったのですが、残念ながら博物館は休館中でした(^^;

それでもケーキ類は美味しかった。
このシフォンケーキは、造り酒屋らしく日本酒を染み込ませてものもあったのですが、運転担当の私は酒抜きのものをオーダー、奥さんと息子は酒入りのを美味しそうに食べていました。

まあ私はもともとお酒が飲めず、痛くも痒くもないのでいいんだ。
ウィンナコーヒが飲めたらそれでいいもんね(^^)

奥さんがお土産見ている間に私は店内を観察。
この空間、ステキですね〜

なかなか重厚な外観の老舗です。
しかしクラシックカメラ博物館が観られなかったのは残念。

今日の締めは鶴ヶ城です。
ここには茶室麟閣があって、奥さんがぜひ行ってみたい、といっていたところ。

この石垣。
11年前の東日本大震災ではこの近辺も相当揺れたはずですが、この石垣ががっしりと組まれていて崩れることはなかったようです。

碧天にそびえる天守。

もうだいぶ陽が西に傾いている、このときでほぼ15:30。

さて茶室麟閣です。



水琴窟で鳥が水浴びをしています。かわいい。

日々是好日。

この炉の切り方、拙宅の奥さんはこれを観て喜びました。
その理由はまたいつか。

ここは外からしか観られない。



お茶をいただけるところから観た天守。

日が陰ってきているので、こういう色彩も濃くて渋さを感じます。

さて、お茶をいただきましょう。


このお懐紙の画のキャラクタ、大内宿の木の枝にぶら下がっていましたね。

息子が珍しくかしこまっている。

そう、そっちのほうがいいと思うよ。

おなかすいたね〜

もう16:00前になっちゃった。
空が美しいね。

やっぱり光は上から来るよりも横から来る方がいい。


ここで意外なことに、息子が『赤べこがほしい』と言い出した。
でやってきたのが鈴善さん。

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