11年前(2005年)の神戸の夜景
本日もご覧いただき、ありがとうございます。
11年前の餘部鉄橋の写真をサルベージしているときに、同じ年に神戸で撮影した夜景も出てきました。
もうどこで撮ったか記憶にもありませんが、いろんなランドマークの位置関係から、Google Map上でおおよその場所の見当がつけられます。
これはたぶんポートアイランドじゃないかな。

ポートアイランドに渡った橋の袂から神戸側を見たところですね。


そうそう、神戸は六甲山の上に錨のマークと神戸市のマークの電飾があるのですよね。

橋のたもとで、当時乗っていたTDM850の記念撮影。
おっさん一人がおたくっぽく自分の愛車の写真を撮っている向こうでは、カップルがひっついてナンカしています。

ここはメリケンパーク近くにあるHotel Okuraで、いま地図で見て知ったのですが、手前の万博のパビリオンのようなものはカワサキワールドのようです。
ネットで見てみるとかなり面白そう、こんど行ってみよう。

皆さんご存知、ポートタワー。
当時デカイと思っていたTDM850も、こうやってみるとけっこう華奢に見えますね。

港には帆船が止まっていました。
『日本丸』と書かれていますが、この船体は日本丸二世ですね。
美しい船です。

これはポートタワー側から海を隔ててみたMOSAICです。
ここはまた奥さんといっしょに来てみたいですね。

メリケンパーク内から撮影した川崎ワールドとポートタワー。
こうやってランドマークが複数写っていると、どこら辺から撮影したかわかるのが楽しいものです。

あ~、また神戸に行きたくなってきたなぁ。
むかし、若いころは、『女の子を神戸に連れていくなら、六甲山から夜景を見せて、そのあと、神戸の街で地上の夜景を見せると喜ばれるよ』なんて男どもの間ではまことしやかに言われていましたが...ごほほ...


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11年前の餘部鉄橋の写真をサルベージしているときに、同じ年に神戸で撮影した夜景も出てきました。
もうどこで撮ったか記憶にもありませんが、いろんなランドマークの位置関係から、Google Map上でおおよその場所の見当がつけられます。
これはたぶんポートアイランドじゃないかな。

ポートアイランドに渡った橋の袂から神戸側を見たところですね。


そうそう、神戸は六甲山の上に錨のマークと神戸市のマークの電飾があるのですよね。

橋のたもとで、当時乗っていたTDM850の記念撮影。
おっさん一人がおたくっぽく自分の愛車の写真を撮っている向こうでは、カップルがひっついてナンカしています。

ここはメリケンパーク近くにあるHotel Okuraで、いま地図で見て知ったのですが、手前の万博のパビリオンのようなものはカワサキワールドのようです。
ネットで見てみるとかなり面白そう、こんど行ってみよう。

皆さんご存知、ポートタワー。
当時デカイと思っていたTDM850も、こうやってみるとけっこう華奢に見えますね。

港には帆船が止まっていました。
『日本丸』と書かれていますが、この船体は日本丸二世ですね。
美しい船です。

これはポートタワー側から海を隔ててみたMOSAICです。
ここはまた奥さんといっしょに来てみたいですね。

メリケンパーク内から撮影した川崎ワールドとポートタワー。
こうやってランドマークが複数写っていると、どこら辺から撮影したかわかるのが楽しいものです。

あ~、また神戸に行きたくなってきたなぁ。
むかし、若いころは、『女の子を神戸に連れていくなら、六甲山から夜景を見せて、そのあと、神戸の街で地上の夜景を見せると喜ばれるよ』なんて男どもの間ではまことしやかに言われていましたが...ごほほ...


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11年前(2005年)の餘部鉄橋の写真が出てきた
本日もご覧いただき、ありがとうございます。
先日の餘部鉄橋の記事、ふと思い立ってコンピュータのハードディスクの中をサルベージしてみました。
そしたら、2005年の9月に餘部鉄橋に行ったときの写真が見つかりました。
当時購入したばかりのNikon D70Sで撮った写真です。
まずは定番撮影ポイントから見た橋の全景です。
先日の新しい橋と比べてみてください。やっぱり雰囲気はこっちですねぇ。

そのときに通った一両編成の上り列車が餘部駅を出発していきました。


しばらくして、反対側から、これは快速だったのかな、いまとなってはどんな車両かわかりません。

新しい線路が敷かれる前のオリジナルの橋脚。まっすぐにトンネルから出てきて西に向かっています。

先日の記事で線路の端から見たのとほぼ同じ位置から見たトンネル側の様子が残っていました。無論、一直線にトンネルの中に入っていっています。

撮影場所から下界におりていく途中、餘部鉄橋周辺のお店やお宿の地図があったようです。
たぶん、この写真を撮ったさらに何年か前に描かれた地図でしょうが、時代を感じさせますねぇ。
私が記憶していた、道の駅に変わってしまっていた喫茶店は『かあら』といったようです。

その階段を下りていく途中で、いまはもう見ることができない橋脚を見ることができました。

これも、ほぼ同じところから撮った写真が先日の記事の中にありました。

もうすっかり忘れていましたが、どうも海側にまで行って南を向いて撮った写真もありました。

どれくらいの時間滞在したかも憶えていませんが、これだけ何両も列車が通った写真があることをみると、けっこう長い時間いたようですね。


ありし日の餘部鉄橋の全景。
明治45年から約100年間も働いていたなんて、日本の産業遺産なんてあったら登録されてもよさそうなものです。
日本産業革命遺産なんて言うのはあるんですけどねぇ。

このときは前車、TDM850で行きました。
いまのRTに乗り換える2年前ですね。


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先日の餘部鉄橋の記事、ふと思い立ってコンピュータのハードディスクの中をサルベージしてみました。
そしたら、2005年の9月に餘部鉄橋に行ったときの写真が見つかりました。
当時購入したばかりのNikon D70Sで撮った写真です。
まずは定番撮影ポイントから見た橋の全景です。
先日の新しい橋と比べてみてください。やっぱり雰囲気はこっちですねぇ。

そのときに通った一両編成の上り列車が餘部駅を出発していきました。


しばらくして、反対側から、これは快速だったのかな、いまとなってはどんな車両かわかりません。

新しい線路が敷かれる前のオリジナルの橋脚。まっすぐにトンネルから出てきて西に向かっています。

先日の記事で線路の端から見たのとほぼ同じ位置から見たトンネル側の様子が残っていました。無論、一直線にトンネルの中に入っていっています。

撮影場所から下界におりていく途中、餘部鉄橋周辺のお店やお宿の地図があったようです。
たぶん、この写真を撮ったさらに何年か前に描かれた地図でしょうが、時代を感じさせますねぇ。
私が記憶していた、道の駅に変わってしまっていた喫茶店は『かあら』といったようです。

その階段を下りていく途中で、いまはもう見ることができない橋脚を見ることができました。

これも、ほぼ同じところから撮った写真が先日の記事の中にありました。

もうすっかり忘れていましたが、どうも海側にまで行って南を向いて撮った写真もありました。

どれくらいの時間滞在したかも憶えていませんが、これだけ何両も列車が通った写真があることをみると、けっこう長い時間いたようですね。


ありし日の餘部鉄橋の全景。
明治45年から約100年間も働いていたなんて、日本の産業遺産なんてあったら登録されてもよさそうなものです。
日本産業革命遺産なんて言うのはあるんですけどねぇ。

このときは前車、TDM850で行きました。
いまのRTに乗り換える2年前ですね。


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ちょっと時間がかかった ODO 110,000キロ
本日もご覧いただき、ありがとうございます。
先日の能登行きの実況記事の中でチラ見せしてしまっていますが。

10万キロに乗って1年ちょっとで11万キロに乗りました。
乗ったのは10月22日 AM04:00ちょうど。

到達したのは、奥琵琶湖のほう、マキノ町の近くで、R161とK54が交差する『海津』交差点を過ぎたあたり。

9万キロに乗ったのが2015年の8月。
8万キロが2013年10月。
7万キロがその年の2013年2月。
一連の走行距離は、2011年以降ですがこちらにまとまっています。
とりあえず、先日のメンテナンスからは調子のいいエンジン。
でも、まだ安心はできない怪しいところを抱えていますので、落ち着いたらちゃんと手当てしないといけません。
それにしても良く走ってくれます。
まだまだ壊れずに私をあちこち連れて行ってね。


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先日の能登行きの実況記事の中でチラ見せしてしまっていますが。

10万キロに乗って1年ちょっとで11万キロに乗りました。
乗ったのは10月22日 AM04:00ちょうど。

到達したのは、奥琵琶湖のほう、マキノ町の近くで、R161とK54が交差する『海津』交差点を過ぎたあたり。

9万キロに乗ったのが2015年の8月。
8万キロが2013年10月。
7万キロがその年の2013年2月。
一連の走行距離は、2011年以降ですがこちらにまとまっています。
とりあえず、先日のメンテナンスからは調子のいいエンジン。
でも、まだ安心はできない怪しいところを抱えていますので、落ち着いたらちゃんと手当てしないといけません。
それにしても良く走ってくれます。
まだまだ壊れずに私をあちこち連れて行ってね。


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餘部鉄橋を見に行こう ~旧い鉄橋も残っていた~
本日もご覧いただき、ありがとうございます。
鎧駅を出たら、餘部鉄橋はすぐ隣。
R178に入って道が北の方角を向いてしばらくすると、餘部鉄橋が見えてきました。

いや、いまは鉄橋ではなくなってしまっていますよね、餘部橋梁というのが正しい。

確かあそこに喫茶店があったはず、と思って着いたところは、喫茶店はなくなっていて、道の駅ができていました。

鉄橋は新しいコンクリート製の橋梁にとって代わられてしまいましたが、一部がまだ保存されています。

橋は平成22年にかけ替えられているのですが、この橋のすぐ下の公園は3年後の平成25年にできたようです。

西側の3本の橋脚はかつての姿をとどめていて、上は展望台になっています。
その橋脚のすぐ南隣りに新しい橋梁が通っています。

塗装記録というのがちゃんと記されています。
ここは日本海に程近く、潮風にさらされるので、定期的にペンキの塗り直しをして維持されています。
明治45年建造の鉄橋が100年以上もこうして原形をとどめて運用できたのは、こうしたメンテナンスの賜物。

駅のほうに向かう途中に説明書きがありました。
先ほど旧い橋の上が展望台になっていると書きましたが、それはこの看板を見て知ったものです。

餘部駅はエレベータもエスカレータもない山の上にあります。お年寄りにはけっこうきついはず。
その途中からトンネル側が見えます。
旧い橋を残したままどうやって新しい橋をかけ替えたのかと思っていましたが、橋一本分南にそらせて橋を建てたんですね。

ホームのところまで上がってきました。
かつての鉄橋のころは、プラットホームは線路の南側にあったと記憶します。しかし、橋と線路が南に動いたことで、そのホームがあった山の法面は削り取られ、ホームはほぼ同じ位置ですが新しい姿になって線路の北側に位置していました。

旧い線路はここから東のほうに向かっていて、旧い橋の上まで行けます。

ここが現在でも残っている西側3本の橋の上の展望台。
確かにここからの景色は絶景なのですが、残念なことに安全柵がうるさく、写真に撮ってもぜんぜん見栄えしません。

ここは展望台の東の端っこからトンネルのほうを見たところ。
こうやってみると、旧い線路がまっすぐトンネルに向かっていて、新しい線路が南にそれて延びてきているのがよくわかります。

展望台をあとにして、少し戻ってから撮影ポイントに来てみました。
う~ん、こんなことを言ったら叱られるかもしれませんが、やっぱり雰囲気としてはトレッスル橋のほうが上だなぁ。

とにかく『空の駅』と言われるくらい高いところにあるので、いろんなものを設置するのもたいへんだったでしょうね。

そこへ上り列車が入り、発進していきました。

電化されていないので、昔ながらのディーゼル車両が走っていきます。
さっき雰囲気のことを書きましたけど、安心感という意味ではやっぱり新しい橋梁のほうが上ですね。


駅をあとにして下りていきます。
明治45年に建設されて、塗装やその他のメンテナンスをされてはいるでしょうが、たぶん分解なんかされたことはないのでしょう、よくもまあ100年以上も維持できたものです。

地上の基礎部分。
脚を直接地面に打ち込んだ基礎に固定するのとは別にもう一本、橋脚を固定している部品があります。これがどれくらいの効果があるのか、私にはわかりません。

そうやって旧い橋と新しい橋を堪能したあと、帰路につきました。

途中、こんな景色のところで休憩したりして、のんびり家路をたどります。

少し眠くなったので、休んでから再出発。

帰りも4時間もかかって帰宅、ODOは 109,754キロ、往復で381キロ。
一部、高速無料区間を使った以外は全部下道でよく走ったものです。

燃費ですが、給油ベースの満タン法で371.9キロを17.45リットルで走ったので、リッターあたり21.31キロ。まあ上出来ですね。

久しぶりに長距離をがっつり走って大満足でした。
エンジンの調子もすっかり戻ったし、また乗るのが楽しみになりました。

今回の餘部までのルート、まあ載せるほどでもありませんが(^^)

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鎧駅を出たら、餘部鉄橋はすぐ隣。
R178に入って道が北の方角を向いてしばらくすると、餘部鉄橋が見えてきました。

いや、いまは鉄橋ではなくなってしまっていますよね、餘部橋梁というのが正しい。

確かあそこに喫茶店があったはず、と思って着いたところは、喫茶店はなくなっていて、道の駅ができていました。

鉄橋は新しいコンクリート製の橋梁にとって代わられてしまいましたが、一部がまだ保存されています。

橋は平成22年にかけ替えられているのですが、この橋のすぐ下の公園は3年後の平成25年にできたようです。

西側の3本の橋脚はかつての姿をとどめていて、上は展望台になっています。
その橋脚のすぐ南隣りに新しい橋梁が通っています。

塗装記録というのがちゃんと記されています。
ここは日本海に程近く、潮風にさらされるので、定期的にペンキの塗り直しをして維持されています。
明治45年建造の鉄橋が100年以上もこうして原形をとどめて運用できたのは、こうしたメンテナンスの賜物。

駅のほうに向かう途中に説明書きがありました。
先ほど旧い橋の上が展望台になっていると書きましたが、それはこの看板を見て知ったものです。

餘部駅はエレベータもエスカレータもない山の上にあります。お年寄りにはけっこうきついはず。
その途中からトンネル側が見えます。
旧い橋を残したままどうやって新しい橋をかけ替えたのかと思っていましたが、橋一本分南にそらせて橋を建てたんですね。

ホームのところまで上がってきました。
かつての鉄橋のころは、プラットホームは線路の南側にあったと記憶します。しかし、橋と線路が南に動いたことで、そのホームがあった山の法面は削り取られ、ホームはほぼ同じ位置ですが新しい姿になって線路の北側に位置していました。

旧い線路はここから東のほうに向かっていて、旧い橋の上まで行けます。

ここが現在でも残っている西側3本の橋の上の展望台。
確かにここからの景色は絶景なのですが、残念なことに安全柵がうるさく、写真に撮ってもぜんぜん見栄えしません。

ここは展望台の東の端っこからトンネルのほうを見たところ。
こうやってみると、旧い線路がまっすぐトンネルに向かっていて、新しい線路が南にそれて延びてきているのがよくわかります。

展望台をあとにして、少し戻ってから撮影ポイントに来てみました。
う~ん、こんなことを言ったら叱られるかもしれませんが、やっぱり雰囲気としてはトレッスル橋のほうが上だなぁ。

とにかく『空の駅』と言われるくらい高いところにあるので、いろんなものを設置するのもたいへんだったでしょうね。

そこへ上り列車が入り、発進していきました。

電化されていないので、昔ながらのディーゼル車両が走っていきます。
さっき雰囲気のことを書きましたけど、安心感という意味ではやっぱり新しい橋梁のほうが上ですね。


駅をあとにして下りていきます。
明治45年に建設されて、塗装やその他のメンテナンスをされてはいるでしょうが、たぶん分解なんかされたことはないのでしょう、よくもまあ100年以上も維持できたものです。

地上の基礎部分。
脚を直接地面に打ち込んだ基礎に固定するのとは別にもう一本、橋脚を固定している部品があります。これがどれくらいの効果があるのか、私にはわかりません。

そうやって旧い橋と新しい橋を堪能したあと、帰路につきました。

途中、こんな景色のところで休憩したりして、のんびり家路をたどります。

少し眠くなったので、休んでから再出発。

帰りも4時間もかかって帰宅、ODOは 109,754キロ、往復で381キロ。
一部、高速無料区間を使った以外は全部下道でよく走ったものです。

燃費ですが、給油ベースの満タン法で371.9キロを17.45リットルで走ったので、リッターあたり21.31キロ。まあ上出来ですね。

久しぶりに長距離をがっつり走って大満足でした。
エンジンの調子もすっかり戻ったし、また乗るのが楽しみになりました。

今回の餘部までのルート、まあ載せるほどでもありませんが(^^)

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餘部鉄橋を見に行こう ~小さな港を一望できる鎧駅~
本日もご覧いただき、ありがとうございます。
おなかがいっぱいになったら、餘部鉄橋に向かう前に寄りたいところがあります。
一つ東にある『鎧』という駅です。
いかにもいかつい駅名ですが、11年前に餘部鉄橋に行って帰ってから絶景が見える駅であると知りました。
それにしても、スマホのナビゲーションによると、ここ出石から鎧駅まではまだ2時間くらいかかる模様。いやはや、遠いですなぁ。
でもね、田舎だからなんでしょうか、この細い道が時速50キロ制限ですよ(笑)
むかし住んでいた宝塚や西宮なんて、市内全域40キロ制限、尼崎と西宮の阪神高速神戸線の下を走っているR43なんて、片側3車線あるのに40キロ制限。えらい違いですね。

R178から鎧駅に至る坂を上っていくと、やがて海が見えてきます。

そして、やがて駅のホームが見えてきました。

バス停が併設されている駅舎は公園の公衆トイレみたい(笑)
まあ事実、この入口をくぐって左側が待合室、右側がお手洗いなんです(^^;

バイクは駅前の大きな木の下にとめました。


無論、無人駅です。これは西をむいています。あのトンネルを抜けた向こうに餘部鉄橋があります。

駅の中をうろうろしていると餘部駅からトンネルを抜けて列車が入ってきました。

驚いたことにけっこうな人が乗っています。餘部駅もこの鎧駅もかなりメジャーなんですねぇ。

何人かが乗って、東に向かって行きました。

さて、この通路、『鎧港 絶景への地下道(ちかみち)』と書かれています。

そこを下りて反対側のホームに行くとこんな風景が待っていました。

小さな漁港ですが、これが鎧港のようです。

なんだか昔から変わらない港って感じですねぇ。

さて、そろそろ餘部鉄橋に行きましょうか、と思っていたら今度は快速電車が通過。
けっこうな頻度で列車が通りますね。
コリャ餘部鉄橋も列車が通るのが見えるかも。

というわけで、も一回だけ続きます。
出石から鎧駅までのルートです。

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おなかがいっぱいになったら、餘部鉄橋に向かう前に寄りたいところがあります。
一つ東にある『鎧』という駅です。
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それにしても、スマホのナビゲーションによると、ここ出石から鎧駅まではまだ2時間くらいかかる模様。いやはや、遠いですなぁ。
でもね、田舎だからなんでしょうか、この細い道が時速50キロ制限ですよ(笑)
むかし住んでいた宝塚や西宮なんて、市内全域40キロ制限、尼崎と西宮の阪神高速神戸線の下を走っているR43なんて、片側3車線あるのに40キロ制限。えらい違いですね。

R178から鎧駅に至る坂を上っていくと、やがて海が見えてきます。

そして、やがて駅のホームが見えてきました。

バス停が併設されている駅舎は公園の公衆トイレみたい(笑)
まあ事実、この入口をくぐって左側が待合室、右側がお手洗いなんです(^^;

バイクは駅前の大きな木の下にとめました。


無論、無人駅です。これは西をむいています。あのトンネルを抜けた向こうに餘部鉄橋があります。

駅の中をうろうろしていると餘部駅からトンネルを抜けて列車が入ってきました。

驚いたことにけっこうな人が乗っています。餘部駅もこの鎧駅もかなりメジャーなんですねぇ。

何人かが乗って、東に向かって行きました。

さて、この通路、『鎧港 絶景への地下道(ちかみち)』と書かれています。

そこを下りて反対側のホームに行くとこんな風景が待っていました。

小さな漁港ですが、これが鎧港のようです。

なんだか昔から変わらない港って感じですねぇ。

さて、そろそろ餘部鉄橋に行きましょうか、と思っていたら今度は快速電車が通過。
けっこうな頻度で列車が通りますね。
コリャ餘部鉄橋も列車が通るのが見えるかも。

というわけで、も一回だけ続きます。
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