初めての大型二輪 TDM850
本日もご覧いただき、ありがとうございます。
初めて乗った大型バイクはYAMAHAのTDM850でした。
このバイクの源流は、Yamahaがパリ・ダカールラリーに実戦投入していたXTZ750 Super Tenereで、このバイクがもつエンジンを850C.C.にアップしたものをオンロードのフレームに載せ、やはりオンロードの足まわりで固めたマシンでした。
コンセプトは "King of Winding Road" で、1991年に登場の初期型は360度クランクのどちらかというと回転を重視したセッティングで、私が乗っていたTDMは1996年に登場した第二世代。
外観のデザイン変更も大きかったですが、基本的な骨格部分はキャリーオーバー、しかし見えないところで大きく変わったのはエンジンで、360度クランクから 270度クランクに変更されたことによって、よりトラクションが強くなった、といわれていました。
私自身は初期型と乗り比べたことはありませんので、残念ながら違いはわかりません。
このTDM850、2000年9月から RTに乗り換える2007年11月まで、7年と2ヶ月、約70,000kmをともにしたのですが、その間にいろいろ手を入れました。
こちらが納車直後の全景です。

約5年後の姿がこちら。

主な変更点は次の通りです。
1.ウィンドスクリーン
ノーマルのスクリーンではあまりプロテクションが感じられなかったので、少しだけ長いGIVIのスクリーンにスイッチしてみました。
メーカーではすでにディスコンのようですが、首から下の部位に当たる風がそれなりに抑えられました。
2.トップケース
現在もRTにつけているトップケース、これもGIVI製です。
52リットルの大容量を誇る、当時の最大容量のものです。
キャンプに行くのでなければ、3泊程度のツーリングであれば着替えやカメラ、ノートPCなどを簡単に飲み込んでくれます。
3.マフラー
Over Racingの Titan Oval Twin Tailです。
とある駐車場に置いておいたときにマフラーがあて逃げに会い、かなり派手な傷と凹みができてしまいました。
サイドスタンドがはずれて倒れることがなかったのが奇跡だと思えるほど派手な傷にはらわたが煮えくりかえりましたが、ノーマルのマフラーの部品代を聞いて、これだったら社外品に換えたほうがかっこ良くなっていいか、と半分ニヤけたのを覚えています。
音はちょっと大きくなりましたが、うれしい誤算で低速が太くなって、トップ50km/h弱からでもストレスなく加速できるようになったのは意外でした。
4.リアサスペンション
リアサスペンションがへたって来たため、これも社外品に交換。
Togashi Engineeringのサスペンション。
改造すればRTにもつけられるようですが、肝心のトガシの社長が他界されたようで、改造できるかどうかは定かではありません。
実は、フロントもスプリングをWPに換えています。
5.エンジンガード
Gold Medalの、製品名 "Slash Guard" です。
特段ガードしなければならないほどエンジンが張り出しているわけではありませんでしたので、主に見た目のリッチさに惹かれたものです。
副次的にカメラの据え付け場所として利用できたことはちょっとトクした気分でした。
ハンドル回りです。

6.サイドミラーのエクステンション
RTにも同じものを付けていますが、バイクのミラーは意外と死角が大きいもの。
これでほぼ横より少し後ろにいる車両も視界に入るようになり、死角が減りました。
もちろん、車線変更の時は首を回してチャンと後方確認しなければいけません。
7.カメラ据え付け用クランプ雲台
Slik製の万力のようなクランプがベースの雲台です。
これを先の Slash Guardにつけてコンパクトデジカメなんかで動画を撮ると、特に左コーナーで地面すれすれの臨場感のある動画が撮れます。
8.CASIO G Shock
TDMはなぜか一番欲しいフューエルゲージと時計がありませんでした。
フューエルゲージはどうにもなりませんが、時計は何とかなる、ということで、温度計、気圧計がついたG-Shockを付けていました。
つけっぱなしにしていても、とうとう壊れるまでの6年間、盗まれることはなかった幸運な時計です。
9.ハンドルガード
ドイツのKEDOというメーカーから個人輸入したものです。
TDM用に販売されていますが、ベースはBMWのF650GS用で、裏にはBMWのプロペラマークが刻印されています。
これにKEDO独自にTDM取付け用のアタッチメントとハンドルエンドウェイトがセットになって売られていました。
10.GPSとその電源ユニット
GarminのハンディGPSユニット、eTrex Legend 日本語版です。
純正ではなく、中国製のスパイラルコードの電源ケーブルを購入して運用していましたが、これがすこぶる使い勝手が良かったです。
GPSユニットとしての精度も及第点で、現在ほど感度は高くないものの、まずこれで現在位置を見失うことはありませんでした。
11.方位磁石
カー用品店で、できるだけ粘度の高い液体に入っていて、ねとーっと動くやつを付けました。
取り付け場所はけっこう選びました。
メーター近辺につけると、メーター駆動用の磁石か何かの影響でちっとも方角を示してくれず、あちこち試して結局このスクリーンの先端という一等地(?)につけることに。
こんな感じでけっこう手を入れた結果、ツーリングにはけっこう快適な部類で、もう少しエンジン、ミッションが長持ちしてくれればまだ乗っていたと思います。
RTはもうすぐ 60,000km(たぶん今年中に行くのでは?)ですが、同じ程度の距離を走っていてもまだまだ行けそうな感じです。

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初めて乗った大型バイクはYAMAHAのTDM850でした。
このバイクの源流は、Yamahaがパリ・ダカールラリーに実戦投入していたXTZ750 Super Tenereで、このバイクがもつエンジンを850C.C.にアップしたものをオンロードのフレームに載せ、やはりオンロードの足まわりで固めたマシンでした。
コンセプトは "King of Winding Road" で、1991年に登場の初期型は360度クランクのどちらかというと回転を重視したセッティングで、私が乗っていたTDMは1996年に登場した第二世代。
外観のデザイン変更も大きかったですが、基本的な骨格部分はキャリーオーバー、しかし見えないところで大きく変わったのはエンジンで、360度クランクから 270度クランクに変更されたことによって、よりトラクションが強くなった、といわれていました。
私自身は初期型と乗り比べたことはありませんので、残念ながら違いはわかりません。
このTDM850、2000年9月から RTに乗り換える2007年11月まで、7年と2ヶ月、約70,000kmをともにしたのですが、その間にいろいろ手を入れました。
こちらが納車直後の全景です。

約5年後の姿がこちら。

主な変更点は次の通りです。
1.ウィンドスクリーン
ノーマルのスクリーンではあまりプロテクションが感じられなかったので、少しだけ長いGIVIのスクリーンにスイッチしてみました。
メーカーではすでにディスコンのようですが、首から下の部位に当たる風がそれなりに抑えられました。
2.トップケース
現在もRTにつけているトップケース、これもGIVI製です。
52リットルの大容量を誇る、当時の最大容量のものです。
キャンプに行くのでなければ、3泊程度のツーリングであれば着替えやカメラ、ノートPCなどを簡単に飲み込んでくれます。
3.マフラー
Over Racingの Titan Oval Twin Tailです。
とある駐車場に置いておいたときにマフラーがあて逃げに会い、かなり派手な傷と凹みができてしまいました。
サイドスタンドがはずれて倒れることがなかったのが奇跡だと思えるほど派手な傷にはらわたが煮えくりかえりましたが、ノーマルのマフラーの部品代を聞いて、これだったら社外品に換えたほうがかっこ良くなっていいか、と半分ニヤけたのを覚えています。
音はちょっと大きくなりましたが、うれしい誤算で低速が太くなって、トップ50km/h弱からでもストレスなく加速できるようになったのは意外でした。
4.リアサスペンション
リアサスペンションがへたって来たため、これも社外品に交換。
Togashi Engineeringのサスペンション。
改造すればRTにもつけられるようですが、肝心のトガシの社長が他界されたようで、改造できるかどうかは定かではありません。
実は、フロントもスプリングをWPに換えています。
5.エンジンガード
Gold Medalの、製品名 "Slash Guard" です。
特段ガードしなければならないほどエンジンが張り出しているわけではありませんでしたので、主に見た目のリッチさに惹かれたものです。
副次的にカメラの据え付け場所として利用できたことはちょっとトクした気分でした。
ハンドル回りです。

6.サイドミラーのエクステンション
RTにも同じものを付けていますが、バイクのミラーは意外と死角が大きいもの。
これでほぼ横より少し後ろにいる車両も視界に入るようになり、死角が減りました。
もちろん、車線変更の時は首を回してチャンと後方確認しなければいけません。
7.カメラ据え付け用クランプ雲台
Slik製の万力のようなクランプがベースの雲台です。
これを先の Slash Guardにつけてコンパクトデジカメなんかで動画を撮ると、特に左コーナーで地面すれすれの臨場感のある動画が撮れます。
8.CASIO G Shock
TDMはなぜか一番欲しいフューエルゲージと時計がありませんでした。
フューエルゲージはどうにもなりませんが、時計は何とかなる、ということで、温度計、気圧計がついたG-Shockを付けていました。
つけっぱなしにしていても、とうとう壊れるまでの6年間、盗まれることはなかった幸運な時計です。
9.ハンドルガード
ドイツのKEDOというメーカーから個人輸入したものです。
TDM用に販売されていますが、ベースはBMWのF650GS用で、裏にはBMWのプロペラマークが刻印されています。
これにKEDO独自にTDM取付け用のアタッチメントとハンドルエンドウェイトがセットになって売られていました。
10.GPSとその電源ユニット
GarminのハンディGPSユニット、eTrex Legend 日本語版です。
純正ではなく、中国製のスパイラルコードの電源ケーブルを購入して運用していましたが、これがすこぶる使い勝手が良かったです。
GPSユニットとしての精度も及第点で、現在ほど感度は高くないものの、まずこれで現在位置を見失うことはありませんでした。
11.方位磁石
カー用品店で、できるだけ粘度の高い液体に入っていて、ねとーっと動くやつを付けました。
取り付け場所はけっこう選びました。
メーター近辺につけると、メーター駆動用の磁石か何かの影響でちっとも方角を示してくれず、あちこち試して結局このスクリーンの先端という一等地(?)につけることに。
こんな感じでけっこう手を入れた結果、ツーリングにはけっこう快適な部類で、もう少しエンジン、ミッションが長持ちしてくれればまだ乗っていたと思います。
RTはもうすぐ 60,000km(たぶん今年中に行くのでは?)ですが、同じ程度の距離を走っていてもまだまだ行けそうな感じです。

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大型二輪免許取得 ~ バイク探し
本日もご覧いただき、ありがとうございます。
2000年夏、とうとう大型二輪免許を手にすることができました。
考えてみれば夢のようです。
就職してからというもの、バイクに乗ろうと思っても400C.C.までの排気量しか乗ることはできず、一生そうなんだろうと思っていたのに、いまはナナハンはおろか、アメ車のV8エンジンを積んだ狂気の沙汰のBOSHOSさえも乗ることができるのです(いまでも乗るつもりはありませんけど...^^;)。
取ってしまったら大きいのに乗りたくなるのは人情というもの。
当時からさかのぼること12年ほど前、テレビで戸井十月さんがTRANSALP 600Vに乗って北米の最北端から南米のマゼラン海峡近辺まで地球を半周する、というアドベンチャードキュメンタリがあり、それをビデオに録って擦り切れるほど見ていた私には、こんな冒険ができるバイクが憧れの一つでした。
TRANSALP 600V。

(写真は同じカラーリングの400V]
オフロードバイクなのに大きなカウルとウィンドスクリーンを備えた、【アルプス越え】と名付けられたバイク。
いまのBMW GS ADVなどを筆頭とした大型アドベンチャー系バイクの先鞭をつけたモデルです。
しかし、2000年当時、すでに国内ではTRANSALPは販売を終了していたようでした。
※TRANSALPがいまでもHONDAのスペインの工場で生産が続けられていたとは、蒼海さんが乗っていらっしゃるのを見て初めて知りました。
ならば、同じ血統のAfrica Twin。

車体を彩るグラフィックはTRANSALPに比べてだいぶやんちゃな感じでこっぱずかしかったのですが、スタイリングにぐっと来てバイク屋に行きました。
ところが、あろうことか、どこに行っても当時の生産ロットの予約が既に完売されてしまっていてもう新車では手に入らない、と言われてしまいました。
例によって、私がほしいのはアドベンチャー系のゆったりツーリングバイクです。
そうなるとなかなかこれはというバイクがありません。
いまなら国産でYAMAHAのFJR1300や、

KAWASAKIの1400GTRなど、

土の香りはしないけれど魅力的なバイクがありますが、TRANSALPやAfrica Twinが入手困難になった当時、これらのGT系バイクもまた発売されていませんでした。
いろいろ調べていくうち、1991年か1992年に日本でもデビューしていたYAMAHAのTDM850が目につきました。

2000年当時に手に入れることができたのは1996年にモデルチェンジした第二世代で、基本骨格は初期型を踏襲していますが、エンジンが360度クランクから270度クランクに変えられ、外装もイメージを一新したもの。
ちょっと奇抜なデザインかなとも思いましたが、ポジションが楽そうですし、あのパリダカールラリーに出場していた XTZ750 Super Tenereの10バルブエンジンを排気量アップして載せていると聞いては心が傾いてしまいます。

で、結局このTDM850に乗ることにしました。


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2000年夏、とうとう大型二輪免許を手にすることができました。
考えてみれば夢のようです。
就職してからというもの、バイクに乗ろうと思っても400C.C.までの排気量しか乗ることはできず、一生そうなんだろうと思っていたのに、いまはナナハンはおろか、アメ車のV8エンジンを積んだ狂気の沙汰のBOSHOSさえも乗ることができるのです(いまでも乗るつもりはありませんけど...^^;)。
取ってしまったら大きいのに乗りたくなるのは人情というもの。
当時からさかのぼること12年ほど前、テレビで戸井十月さんがTRANSALP 600Vに乗って北米の最北端から南米のマゼラン海峡近辺まで地球を半周する、というアドベンチャードキュメンタリがあり、それをビデオに録って擦り切れるほど見ていた私には、こんな冒険ができるバイクが憧れの一つでした。
TRANSALP 600V。

(写真は同じカラーリングの400V]
オフロードバイクなのに大きなカウルとウィンドスクリーンを備えた、【アルプス越え】と名付けられたバイク。
いまのBMW GS ADVなどを筆頭とした大型アドベンチャー系バイクの先鞭をつけたモデルです。
しかし、2000年当時、すでに国内ではTRANSALPは販売を終了していたようでした。
※TRANSALPがいまでもHONDAのスペインの工場で生産が続けられていたとは、蒼海さんが乗っていらっしゃるのを見て初めて知りました。
ならば、同じ血統のAfrica Twin。

車体を彩るグラフィックはTRANSALPに比べてだいぶやんちゃな感じでこっぱずかしかったのですが、スタイリングにぐっと来てバイク屋に行きました。
ところが、あろうことか、どこに行っても当時の生産ロットの予約が既に完売されてしまっていてもう新車では手に入らない、と言われてしまいました。
例によって、私がほしいのはアドベンチャー系のゆったりツーリングバイクです。
そうなるとなかなかこれはというバイクがありません。
いまなら国産でYAMAHAのFJR1300や、

KAWASAKIの1400GTRなど、

土の香りはしないけれど魅力的なバイクがありますが、TRANSALPやAfrica Twinが入手困難になった当時、これらのGT系バイクもまた発売されていませんでした。
いろいろ調べていくうち、1991年か1992年に日本でもデビューしていたYAMAHAのTDM850が目につきました。

2000年当時に手に入れることができたのは1996年にモデルチェンジした第二世代で、基本骨格は初期型を踏襲していますが、エンジンが360度クランクから270度クランクに変えられ、外装もイメージを一新したもの。
ちょっと奇抜なデザインかなとも思いましたが、ポジションが楽そうですし、あのパリダカールラリーに出場していた XTZ750 Super Tenereの10バルブエンジンを排気量アップして載せていると聞いては心が傾いてしまいます。

で、結局このTDM850に乗ることにしました。


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代車の Kawasaki Sherpa
先日、代車でお借りした KawasakiのSherpa。
久しぶりに乗ったオフロードの単気筒250C.C.。
とっても軽くて扱いやすいバイクです。
ELFさんから帰るとき、以前にナビ任せで走った道を通りました。
その途中、宇津峡公園キャンプ場でちょっと眺めてみます。
車両全体です。
シート高は私のような短足でも両足を余裕を持ってつけられます。

排気量は以前乗っていたHONDAの XR250 Bajaと同じですが、全体のシルエットは少し排気量が小さい YAMAHAの Serrowのようです。
進行方向に向かって右側から見たエンジン。

DOHCのヘッドを持つ空冷単気筒。上り坂でもスロットルをがばっと開けると力強くダッシュします。
左側から見たエンジン。

シリンダの後方にセルモーターが配置されています。
KL250のころは、250C.C.のオフロードといえば電装は6V、始動はキックのみと相場は決まっていましたが、いつのころからか、オフロード車でも電装が12Vになり、ほぼ例外なくセルを備えるようになりました。
右側をもう一度見てみると、ブレーキペダルのすぐ上、オイルレベル確認窓のすぐ後ろにオプションでキックレバーがつくのではないかと思われるホールがあります。

オイル点検窓。オイル量は1.5リットルと記載があります。
へえ、このクラスってそんなに少なかったっけ? というのが正直な感想でした。

お借りしてすぐに満タンにした後、山道を走ってからガソリンを入れてみると、27㎞ほどを走って0.8リットル。さすがに単気筒、信号がなかった道を走って1リットルあたり30㎞以上を走りました。
それにしてもこの時期、カウルレスで走ると涼しくて気持ちがいいものです。
車体が軽いこともあり、非力なエンジンでもよく走ります。
ただ、さすがにギアが低いため、一速で発進後はすぐにエンジンが吹け切ってしまい、シフトチェンジが忙しいのは仕方がありません。
素直なハンドリングとマイルドなエンジン出力は、50km/hくらいで流していても急かされることなく、こんな田舎道を走るにはとことこといいペースで走れます。
ああ、こんなパワー感もいいですね。

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久しぶりに乗ったオフロードの単気筒250C.C.。
とっても軽くて扱いやすいバイクです。
ELFさんから帰るとき、以前にナビ任せで走った道を通りました。
その途中、宇津峡公園キャンプ場でちょっと眺めてみます。
車両全体です。
シート高は私のような短足でも両足を余裕を持ってつけられます。

排気量は以前乗っていたHONDAの XR250 Bajaと同じですが、全体のシルエットは少し排気量が小さい YAMAHAの Serrowのようです。
進行方向に向かって右側から見たエンジン。

DOHCのヘッドを持つ空冷単気筒。上り坂でもスロットルをがばっと開けると力強くダッシュします。
左側から見たエンジン。

シリンダの後方にセルモーターが配置されています。
KL250のころは、250C.C.のオフロードといえば電装は6V、始動はキックのみと相場は決まっていましたが、いつのころからか、オフロード車でも電装が12Vになり、ほぼ例外なくセルを備えるようになりました。
右側をもう一度見てみると、ブレーキペダルのすぐ上、オイルレベル確認窓のすぐ後ろにオプションでキックレバーがつくのではないかと思われるホールがあります。

オイル点検窓。オイル量は1.5リットルと記載があります。
へえ、このクラスってそんなに少なかったっけ? というのが正直な感想でした。

お借りしてすぐに満タンにした後、山道を走ってからガソリンを入れてみると、27㎞ほどを走って0.8リットル。さすがに単気筒、信号がなかった道を走って1リットルあたり30㎞以上を走りました。
それにしてもこの時期、カウルレスで走ると涼しくて気持ちがいいものです。
車体が軽いこともあり、非力なエンジンでもよく走ります。
ただ、さすがにギアが低いため、一速で発進後はすぐにエンジンが吹け切ってしまい、シフトチェンジが忙しいのは仕方がありません。
素直なハンドリングとマイルドなエンジン出力は、50km/hくらいで流していても急かされることなく、こんな田舎道を走るにはとことこといいペースで走れます。
ああ、こんなパワー感もいいですね。

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7台目のバイク
これまで、KL250という例外を除き、主にオンロードを中心に乗ってきましたが、Baja1000や、ラリーレイドモンゴルの様子を見ていると、250C.C.クラスのオフロード車が非常に魅力的に見えてきました。
オフロード車だったら舗装路はもちろんのこと、信州や北海道など、舗装されていないような山中の林道でも、燃料が続けば入っていくことができます。
ただ、オフロード車は総じてヘッドライトが小さくて暗く、先のようなラリーに出場する車両をイメージした仕様の車両はこの欠点を補っていたので、そうした車両がターゲットとしました。
1995年当時、オフロード車には二輪メーカー各社がこうしたラリーレイドレプリカ(?)と言えそうな、魅力的なマシンを投入していました。
■YAMAHA TT250 Raid

当時のオフロード車で採用が増えていたDOHCのヘッドを持つTT250のラリーレイドバージョン。
もともと、DOHCをオフロードに最初に採用したのは、YAMAHAのXT250Tではなかったかと記憶しています。
ノーマルのTTよりも二回りくらい容量の大きなガソリンタンクを持つモデルで、ヘッドライトもより大光量のものを奢り、カラーリングもその雰囲気を盛り上げていました。
ただし、リアスイングアームがTT250のアルミに対して、TT Raidは鉄でした。
■HONDA XR250 Baja

ホンダが誇るXLシリーズの流れをくむXRシリーズのBajaバージョン。
1980年代初頭に開発されたRFVCエンジンを、他社の【単気筒でもDOHCヘッド、一部メーカーは水冷化】路線を意に介すこともなく、頑なに熟成を重ねて搭載。
ヘッドライトは大容量の二眼式。ワッテージこそ35Wを2本と控えめに思えましたが、実際の夜間の走行では絶大な威力を発揮していました。
ただし、このころはまだ大型ガソリンタンクを備えた車両はなく、かつてその威容を誇ったXL250R Paris Dakarの類似車種発売への期待はありました。
■Suzuki DJEBEL250 XC

HONDA、YAMAHAのラリーレイド路線に対して、Suzukiが満を持して投入した渾身のラリーレイドマシン。【XC】は【クロス・カントリー】でしょうか。
エンジンパワー、ダート走破性、タンク容量、スタイリングなど、文句なく第一級の存在感を誇りました。
この車両もDOHCヘッドです。
■Kawasaki KLX250
残念ながら、先の3社のようなラリーレイドモデルはなく、選択肢には入りませんでした。
ただ、水冷DOHCの強力なエンジンは魅力でした。
今のモタードの源流に位置するマシンだったと思います。
この中から最終的に選択したのは XR250 Bajaでした。
TT RaidもDJEBEL XCも、どれでも間違いはなかったのでしょうが、二眼式のヘッドライトにシビレタこと、他の車種は新設計のエンジンであった(TTはXT-Tの発展型?)のに対して、XRのRFVCエンジンは15年近くも実績があり、【頼れる心臓】の印象が強かったことが決定要因でした。
単気筒でしたので、当然燃費も良く、長いストロークを持つ足回りのおかげで乗り心地も良好、RFではとても考えられないようなダートでも平気で入っていくことができました。
長野県の入笠山周辺の林道は得意なステージでした。
このバイクが中型免許時代に最後に乗ったバイクでした。

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オフロード車だったら舗装路はもちろんのこと、信州や北海道など、舗装されていないような山中の林道でも、燃料が続けば入っていくことができます。
ただ、オフロード車は総じてヘッドライトが小さくて暗く、先のようなラリーに出場する車両をイメージした仕様の車両はこの欠点を補っていたので、そうした車両がターゲットとしました。
1995年当時、オフロード車には二輪メーカー各社がこうしたラリーレイドレプリカ(?)と言えそうな、魅力的なマシンを投入していました。
■YAMAHA TT250 Raid

当時のオフロード車で採用が増えていたDOHCのヘッドを持つTT250のラリーレイドバージョン。
もともと、DOHCをオフロードに最初に採用したのは、YAMAHAのXT250Tではなかったかと記憶しています。
ノーマルのTTよりも二回りくらい容量の大きなガソリンタンクを持つモデルで、ヘッドライトもより大光量のものを奢り、カラーリングもその雰囲気を盛り上げていました。
ただし、リアスイングアームがTT250のアルミに対して、TT Raidは鉄でした。
■HONDA XR250 Baja

ホンダが誇るXLシリーズの流れをくむXRシリーズのBajaバージョン。
1980年代初頭に開発されたRFVCエンジンを、他社の【単気筒でもDOHCヘッド、一部メーカーは水冷化】路線を意に介すこともなく、頑なに熟成を重ねて搭載。
ヘッドライトは大容量の二眼式。ワッテージこそ35Wを2本と控えめに思えましたが、実際の夜間の走行では絶大な威力を発揮していました。
ただし、このころはまだ大型ガソリンタンクを備えた車両はなく、かつてその威容を誇ったXL250R Paris Dakarの類似車種発売への期待はありました。
■Suzuki DJEBEL250 XC

HONDA、YAMAHAのラリーレイド路線に対して、Suzukiが満を持して投入した渾身のラリーレイドマシン。【XC】は【クロス・カントリー】でしょうか。
エンジンパワー、ダート走破性、タンク容量、スタイリングなど、文句なく第一級の存在感を誇りました。
この車両もDOHCヘッドです。
■Kawasaki KLX250
残念ながら、先の3社のようなラリーレイドモデルはなく、選択肢には入りませんでした。
ただ、水冷DOHCの強力なエンジンは魅力でした。
今のモタードの源流に位置するマシンだったと思います。
この中から最終的に選択したのは XR250 Bajaでした。
TT RaidもDJEBEL XCも、どれでも間違いはなかったのでしょうが、二眼式のヘッドライトにシビレタこと、他の車種は新設計のエンジンであった(TTはXT-Tの発展型?)のに対して、XRのRFVCエンジンは15年近くも実績があり、【頼れる心臓】の印象が強かったことが決定要因でした。
単気筒でしたので、当然燃費も良く、長いストロークを持つ足回りのおかげで乗り心地も良好、RFではとても考えられないようなダートでも平気で入っていくことができました。
長野県の入笠山周辺の林道は得意なステージでした。
このバイクが中型免許時代に最後に乗ったバイクでした。

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RF400納車
親父の許可が下りたらもう一目散。
かねてより目星をつけていたバイク屋に行って即発注。
どうあってもGW前に納車を、と懇願して待ちました。
1993年ゴールデンウィーク前、とうとうRFが納車されました。
紅の豚の飛行艇のような真っ赤なカウリングをまとった車体は、ハンドルに手を伸ばすとボリュームのあるガソリンタンクと着座位置のボディの絞り込みで、実に身体の収まりのいいポジションでした。
ピックアップのいいエンジンは、以前乗っていたXJ400ZEのほうが硬質に感じられましたが、慣らしの間でも十分な加速が得られ、ああ、やっぱり400CCもあると余裕だなぁ、などと一回り大きな排気量に満足していました。
慣らし運転は関越自動車道を北上して高崎までワープし、軽井沢に入るコース。
軽井沢から鬼押し出しなど、定番のコースを走ったあと帰る予定が、どこでどう間違えたか正反対のルートに乗ってしまい、気が付けば戸隠まで来ていたという方向音痴で、結局1日で800㎞ほどを走って帰ってきました。
初めての新車に乗った興奮や今に比べて体力もあったのがきいているのでしょうが、疲労の少なさに驚いたのを覚えています。
同じ400CCでもXJ400ZSに比べてエンジンがマイルドで、【開け疲れ】しなかったのかもしれません。
このころの400CCは最高出力の自主規制が始まったころで、数値的には、それまで59PSあった同クラスの出力が53PSあたりまで落とされた半面、低速側が太ったために上まで回さなくてもそれなりに十分な加速が得られていたのかもしれません。
振り分けバッグにCourseの防水バッグを、今でいうパニアとトップケースのように組み合わせ、信州を中心としたキャンプツーリングや、時間がないけど移動に時間をかけずに思い切り楽しみたい、と北海道にスカイツーリングでバイクを飛ばし、同じ飛行機で北海道入りして道内を駆け巡るツーリングも2年連続で敢行しました。
テントやら自炊用品、水などを満載してもハンドリングに大きな変化がなかったのは特筆もので、十勝峠や羅臼など、北海道でも楽しめるワインディングではそれこそ水を得た魚のようにすいすい走りました。
購入して1年後くらいにVCエンジンが出たときは少し悔しかったですが、別に加速に不満があったわけでもなく、私のツーリングのいい相棒でした。

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かねてより目星をつけていたバイク屋に行って即発注。
どうあってもGW前に納車を、と懇願して待ちました。
1993年ゴールデンウィーク前、とうとうRFが納車されました。
紅の豚の飛行艇のような真っ赤なカウリングをまとった車体は、ハンドルに手を伸ばすとボリュームのあるガソリンタンクと着座位置のボディの絞り込みで、実に身体の収まりのいいポジションでした。
ピックアップのいいエンジンは、以前乗っていたXJ400ZEのほうが硬質に感じられましたが、慣らしの間でも十分な加速が得られ、ああ、やっぱり400CCもあると余裕だなぁ、などと一回り大きな排気量に満足していました。
慣らし運転は関越自動車道を北上して高崎までワープし、軽井沢に入るコース。
軽井沢から鬼押し出しなど、定番のコースを走ったあと帰る予定が、どこでどう間違えたか正反対のルートに乗ってしまい、気が付けば戸隠まで来ていたという方向音痴で、結局1日で800㎞ほどを走って帰ってきました。
初めての新車に乗った興奮や今に比べて体力もあったのがきいているのでしょうが、疲労の少なさに驚いたのを覚えています。
同じ400CCでもXJ400ZSに比べてエンジンがマイルドで、【開け疲れ】しなかったのかもしれません。
このころの400CCは最高出力の自主規制が始まったころで、数値的には、それまで59PSあった同クラスの出力が53PSあたりまで落とされた半面、低速側が太ったために上まで回さなくてもそれなりに十分な加速が得られていたのかもしれません。
振り分けバッグにCourseの防水バッグを、今でいうパニアとトップケースのように組み合わせ、信州を中心としたキャンプツーリングや、時間がないけど移動に時間をかけずに思い切り楽しみたい、と北海道にスカイツーリングでバイクを飛ばし、同じ飛行機で北海道入りして道内を駆け巡るツーリングも2年連続で敢行しました。
テントやら自炊用品、水などを満載してもハンドリングに大きな変化がなかったのは特筆もので、十勝峠や羅臼など、北海道でも楽しめるワインディングではそれこそ水を得た魚のようにすいすい走りました。
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RFを買うために...その2
当時、契約関係の管理の仕事をしていた私はどのようにしたら【らしく】見えるかを考えた挙句、最終的に、
■当選通知
■当選から納車までの流れ
■念書(免許証を持っているという)
■購入申込書
といった書類をそれらしく『捏造』し、封筒まで雑誌社のLogoを適当に作って表面に印刷、これに上記『書類』を入れて、会社の後輩に新宿のポストから投函してもらいました。
翌日、仕事から帰ると弟が『兄貴、なんかバイク雑誌から届いてるよ。えらく分厚いけど、なんかに応募したの?』
努めてびっくりしながら『ええっ?、まさか...!』と私。
手を震わせながら封を切って中身を広げるなり、『うぉー、バイクが当たった!!』
迫真の演技です。
『えっ、なになに? バイクなんかが当たったの?』と弟。
『あなた、そんなのに応募してたの?』と母親。
『バイクなんかあてないでお嫁さん当てなくちゃ。』と父親。
誰一人、へぇよかったね、などと祝福してくれる家族がいないところが空しいのですが、もうサイは投げられたわけで、一気にたたみこみます。
『へー、すごいや。おっ、RFじゃん。4132人の応募から当たったって(適当に作った数字です)。こりゃ神様がくれたようなもんだね、』と私。
すると、意外にも父親の口から
『まあ、当たったんなら乗れば? もうあまり無茶もするまい。』と。
ひと悶着あるかといろんなことを想定して【想定問答】を考えていたのに、肩透かしを食ったような結末でした。
こうして、とうとう初めての新車を手に入れる手はずが整いました。

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RFを買うために...その1
今日の内容は、昔の笑い話としてご覧ください。
やったこと自体はとてもほめられたものではありませんが、まあ、古き良き時代の(?)若気の至りということで、遠い将来、両親が天国に行ったら位牌の前で白状することにします。
真似をすることは決して、決してお勧めしません。
RFを買うことを決心したものの、実家から通勤している関係でバイクは実家におかせてもらわねばなりません。
ところが、我が両親、特に父親はバイクに乗るのには反対派です。
※学生のころから、就職して以降、東京に転勤するまでは一人暮らしをしていた関係で、親の目が届かないのをいいことに、けっこう好きなことをやっていました。だからバイクも乗り回せたのですね。
自分が稼いだ給料で買うのですから、買ってはいけないなどと干渉されるいわれはないのですが(子持ちとなった今ではこのような親心はよ~く理解できます)、収入があるにもかかわらず実家に居候させてもらっている身では、バイクを置かせてもらうのに承諾を得ないわけにはいきません。
バイクを保管する環境を考えても、引き続き実家に居候させてもらって、実家にバイクを保管させてもらうのがベストであると考えていたのです。
しかし、真正面から説得にかかっても期待薄です。
ちょうどそのころ、Windows3.0Aあたりがリリースされたところで、独身貴族の私は東芝のDynabookと、Canonのバブルジェットプリンタ BJ300Jを持っていました。
Windows 3.0Aは、確か正式にTrue Typeフォントが採用された最初のOSで(これはMicrosoftの東芝向けOEMのバージョンだったかもしれません)、組み合わせて使っているBJ300Jはドットが細かく、レーザープリンタと遜色ない解像度を示していたため、たいへんきれいな印字ができました(当時、レーザープリンタは高価でした)。
このような、当時としてはそこそこ先端をいく道具を持っていた私が考えたこと。
【バイク雑誌の創刊ウン十周年記念プレゼントに応募して希望のバイクに当選した】
というシナリオで一芝居打つことでした。
つづく...

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やったこと自体はとてもほめられたものではありませんが、まあ、古き良き時代の(?)若気の至りということで、遠い将来、両親が天国に行ったら位牌の前で白状することにします。
真似をすることは決して、決してお勧めしません。
RFを買うことを決心したものの、実家から通勤している関係でバイクは実家におかせてもらわねばなりません。
ところが、我が両親、特に父親はバイクに乗るのには反対派です。
※学生のころから、就職して以降、東京に転勤するまでは一人暮らしをしていた関係で、親の目が届かないのをいいことに、けっこう好きなことをやっていました。だからバイクも乗り回せたのですね。
自分が稼いだ給料で買うのですから、買ってはいけないなどと干渉されるいわれはないのですが(子持ちとなった今ではこのような親心はよ~く理解できます)、収入があるにもかかわらず実家に居候させてもらっている身では、バイクを置かせてもらうのに承諾を得ないわけにはいきません。
バイクを保管する環境を考えても、引き続き実家に居候させてもらって、実家にバイクを保管させてもらうのがベストであると考えていたのです。
しかし、真正面から説得にかかっても期待薄です。
ちょうどそのころ、Windows3.0Aあたりがリリースされたところで、独身貴族の私は東芝のDynabookと、Canonのバブルジェットプリンタ BJ300Jを持っていました。
Windows 3.0Aは、確か正式にTrue Typeフォントが採用された最初のOSで(これはMicrosoftの東芝向けOEMのバージョンだったかもしれません)、組み合わせて使っているBJ300Jはドットが細かく、レーザープリンタと遜色ない解像度を示していたため、たいへんきれいな印字ができました(当時、レーザープリンタは高価でした)。
このような、当時としてはそこそこ先端をいく道具を持っていた私が考えたこと。
【バイク雑誌の創刊ウン十周年記念プレゼントに応募して希望のバイクに当選した】
というシナリオで一芝居打つことでした。
つづく...

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6台目のバイク
1990年に東京に転勤するにあたり、思い出深きVTは会社の同期にもらわれていきました。
しかし、もはやバイクは私の意識の中でほとんど麻薬にも似た習慣性が定着しており、バイクを手放した後も毎月2~3冊のバイク雑誌を購入するのが習慣でした。
転勤前は関西を中心にツーリングしていましたが、雑誌を見ていると、転勤先の関東は関東で手の届く範囲に魅力的なワインディングやスカイラインが目白押し。
北関東、信州、東北、箱根、伊豆半島 などなど、あげはじめたらキリがありません。
悪いことに(?)、職場に、3つ年下のバイク乗りがいて、関東のツーリングの楽しさをさんざん聞かされ、もう、新たにバイクを買わないわけにはいかなくなってしまうところまで盛り上がってしました。
再び、バイク探しが始まりました。
今回は、とうとう初めての新車を狙います。
以下のような候補です。
■Suzuki RF400

発売されたばかりの Suzuki RF400。VCエンジンが出る前の型です。
400C.C.が出る前に、欧州向けに600C.C.の高出力の同型がリリースされており、他社の動向からもいずれ国内で400バージョンが出るであろうことは会社の後輩が予想していて、発表を待っていました。
真っ赤なカラーリングと、サイドカウルのエラのようなエアアウトレットがしびれます。
■Kawasaki ZZR400

フルモデルチェンジしたばかりの Kawasaki ZZR400。
兄貴分のZZR1100をほんの一回りだけ小さくしたスタイリングは堂々たるもので、インパネの造りも一級品です。
素直にカッコいいと思えて、所有欲も満たせる品質感が漂っていました。
■Suzuki GSX400 Katana

Katanaシリーズのラインアップの最後に加わったSuzuki GSX400 Katana。
本家の1100にはかなわないものの、250で感じられたようないささかのアンバランスは微塵も感じられず、均整のとれた Katanaプロポーションは、発表から10年近くを経た当時でもなお新鮮で魅力的でした。
エンジンはRFと同じ水冷4気筒が載せられていますが、オリジナルのKatanaの雰囲気を壊さないような化粧が施されています。
■HONDA CB400、YAMAHA XJR400


HONDAの CB400は、まだカウルつきのボルドールは影も形もなく、YAMAHA XJR400は、結局カタログ落ちするまでカウルつきの設定が出ることはなく、私の選択肢には入りませんでした。
■YAMAHA (XJ400) Diversion

YAMAHAにはXJRのほかに、もう少しツーリングに振った Diversionというそこそこのサイズのカウルと楽ちんポジションのバイクがありました(写真はたぶん600だと思います)。
欧州で確か600C.C.と900C.C.の排気量で XJ600/900 Diversionとしてリリースされていたもので、国内向けに400C.C.エンジンを搭載した、地味ですがよくできたバイクでした。
ただ、たまたま直前にレンタルバイクで借りる機会があって乗ってみましたが、フライホイールのマスが大きすぎたのか、乗り始めてすぐの交差点でスタートしたとたんに『なんちゅう走らんバイクだろう』と思ってしまうほどダルな加速で、価格は手が届きやすかったものの、早々に圏外になってしまっていました。
RF、ZZR、Katanaはほぼ同時期に市場に投入されたこともあり、毎月買っていたバイク雑誌に様々な記事が載っていて、情報には事欠くことはありませんでした。
ZZRはどうしても200キロ近い車両重量が災いして、加速がダルという印象があり、Katanaは本当に魅力的なスタイリングでしたが、いかんせんオリジナルのセパレートハンドルでは前傾がきつく、まさかあの悪名高き『耕耘機ハンドル』に付け替えるくらいなら最初から乗らないほうがいいかと結論。
最終的に消去法でRFに落ち着きました。

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しかし、もはやバイクは私の意識の中でほとんど麻薬にも似た習慣性が定着しており、バイクを手放した後も毎月2~3冊のバイク雑誌を購入するのが習慣でした。
転勤前は関西を中心にツーリングしていましたが、雑誌を見ていると、転勤先の関東は関東で手の届く範囲に魅力的なワインディングやスカイラインが目白押し。
北関東、信州、東北、箱根、伊豆半島 などなど、あげはじめたらキリがありません。
悪いことに(?)、職場に、3つ年下のバイク乗りがいて、関東のツーリングの楽しさをさんざん聞かされ、もう、新たにバイクを買わないわけにはいかなくなってしまうところまで盛り上がってしました。
再び、バイク探しが始まりました。
今回は、とうとう初めての新車を狙います。
以下のような候補です。
■Suzuki RF400

発売されたばかりの Suzuki RF400。VCエンジンが出る前の型です。
400C.C.が出る前に、欧州向けに600C.C.の高出力の同型がリリースされており、他社の動向からもいずれ国内で400バージョンが出るであろうことは会社の後輩が予想していて、発表を待っていました。
真っ赤なカラーリングと、サイドカウルのエラのようなエアアウトレットがしびれます。
■Kawasaki ZZR400

フルモデルチェンジしたばかりの Kawasaki ZZR400。
兄貴分のZZR1100をほんの一回りだけ小さくしたスタイリングは堂々たるもので、インパネの造りも一級品です。
素直にカッコいいと思えて、所有欲も満たせる品質感が漂っていました。
■Suzuki GSX400 Katana

Katanaシリーズのラインアップの最後に加わったSuzuki GSX400 Katana。
本家の1100にはかなわないものの、250で感じられたようないささかのアンバランスは微塵も感じられず、均整のとれた Katanaプロポーションは、発表から10年近くを経た当時でもなお新鮮で魅力的でした。
エンジンはRFと同じ水冷4気筒が載せられていますが、オリジナルのKatanaの雰囲気を壊さないような化粧が施されています。
■HONDA CB400、YAMAHA XJR400


HONDAの CB400は、まだカウルつきのボルドールは影も形もなく、YAMAHA XJR400は、結局カタログ落ちするまでカウルつきの設定が出ることはなく、私の選択肢には入りませんでした。
■YAMAHA (XJ400) Diversion

YAMAHAにはXJRのほかに、もう少しツーリングに振った Diversionというそこそこのサイズのカウルと楽ちんポジションのバイクがありました(写真はたぶん600だと思います)。
欧州で確か600C.C.と900C.C.の排気量で XJ600/900 Diversionとしてリリースされていたもので、国内向けに400C.C.エンジンを搭載した、地味ですがよくできたバイクでした。
ただ、たまたま直前にレンタルバイクで借りる機会があって乗ってみましたが、フライホイールのマスが大きすぎたのか、乗り始めてすぐの交差点でスタートしたとたんに『なんちゅう走らんバイクだろう』と思ってしまうほどダルな加速で、価格は手が届きやすかったものの、早々に圏外になってしまっていました。
RF、ZZR、Katanaはほぼ同時期に市場に投入されたこともあり、毎月買っていたバイク雑誌に様々な記事が載っていて、情報には事欠くことはありませんでした。
ZZRはどうしても200キロ近い車両重量が災いして、加速がダルという印象があり、Katanaは本当に魅力的なスタイリングでしたが、いかんせんオリジナルのセパレートハンドルでは前傾がきつく、まさかあの悪名高き『耕耘機ハンドル』に付け替えるくらいなら最初から乗らないほうがいいかと結論。
最終的に消去法でRFに落ち着きました。

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5台目のバイク
4台目のバイク(XJ400ZE)は、転勤の際に弟の友人に買われていき、私のもとでは不遇に終わりました。
しかし、性懲りもなく数年後、会社の先輩から『バイク乗らなくなるんだけど、買わない?』と声がかかりました。
HONDAのVT250F。

現在のVTR250の源流、フレームマウントのアッパーカウルを持つ第2世代でした。
初代のVT250は、当時最強のクォーターと言われたYAMAHAのRZ250を打倒すべく、HONDAが本気で開発した90度V型2気筒水冷DOHCの強心臓を持つ、当時としては目を見張るスペックのバイクでした。



2サイクルのRZと同等のパワーを4サイクルで絞り出し、先鋭的なスタイルとあいまって若者を中心に人気を博しました。
エンジンのほかにも、新しい試みとしてインボードディスクと呼ばれるブレーキをフロントに備えていました。
このブレーキは、ブレーキタッチがいいといわれる鋳鉄のディスクをドラムブレーキのようなケースに収め、冷却用のベンチレートホールを設けた、一見するとディスクには見えないブレーキでした。
このバイクから、250C.C.クラスのレブリミットが12,000rpm以上に高められたと記憶しています。
私が先輩から譲り受けたVTは、初代に比べて丸っこいフレームマウントのカウルを備え、排気音も少しマイルドになりましたが、出力は5PSほど上乗せされていました。
レブカウンタのレッドゾーンはダテではなく、本当に頭打ち感も、一切のストレスもなしにレッドゾーンまで回りきるエンジンでした。
このバイクでは、ゴールデンウィークや盆休みなど、長期休暇の際には会社の寮の同僚と四国、九州、北陸、東海など、およそ西日本の大概の府県を通るツーリングをしました。
燃費も良好で、高速や地方道中心のツーリングではリッターあたり30km以上走ってくれました。ほとんど同排気量の単気筒のバイクと遜色ありませんでした。
当時としてはスーパースポーツのカテゴリに入っていたと思いますが、近年のレーサーレプリカほど前傾姿勢は強くなく、センタースタンドも備えていたので、 スポーツ走行にもツーリングにも適し、チェーンのメンテナンスも容易にできるいい設計でした。
クラッチもハイドローリックで、軽く、微妙なクラッチミートも思いのまま、小排気量の割には低速も太めで(それでいて上まできれいに回るのですから大したものです)、たいへん扱いやすい動力、および動力伝達系を持っていました。
ただ、HONDAが満を持してリリースしたインボードディスクはその触れ込みとはかけ離れたもので、非常にききが甘く、いま思うと危険な部類でした。
もしかすると、きちんとしたメンテナンスを施してあげていなかったことで、本来の性能を発揮していなかったのかもしれません。
もう一つの特徴であるフロント16インチホイールは切れ込みが鋭く、個人的にはもう一回り大きなホイールだったらなぁ、と思っていました。
独身時代にバイクツーリングにのめりこむ扉を開いてくれた1台でした。

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しかし、性懲りもなく数年後、会社の先輩から『バイク乗らなくなるんだけど、買わない?』と声がかかりました。
HONDAのVT250F。

現在のVTR250の源流、フレームマウントのアッパーカウルを持つ第2世代でした。
初代のVT250は、当時最強のクォーターと言われたYAMAHAのRZ250を打倒すべく、HONDAが本気で開発した90度V型2気筒水冷DOHCの強心臓を持つ、当時としては目を見張るスペックのバイクでした。



2サイクルのRZと同等のパワーを4サイクルで絞り出し、先鋭的なスタイルとあいまって若者を中心に人気を博しました。
エンジンのほかにも、新しい試みとしてインボードディスクと呼ばれるブレーキをフロントに備えていました。
このブレーキは、ブレーキタッチがいいといわれる鋳鉄のディスクをドラムブレーキのようなケースに収め、冷却用のベンチレートホールを設けた、一見するとディスクには見えないブレーキでした。
このバイクから、250C.C.クラスのレブリミットが12,000rpm以上に高められたと記憶しています。
私が先輩から譲り受けたVTは、初代に比べて丸っこいフレームマウントのカウルを備え、排気音も少しマイルドになりましたが、出力は5PSほど上乗せされていました。
レブカウンタのレッドゾーンはダテではなく、本当に頭打ち感も、一切のストレスもなしにレッドゾーンまで回りきるエンジンでした。
このバイクでは、ゴールデンウィークや盆休みなど、長期休暇の際には会社の寮の同僚と四国、九州、北陸、東海など、およそ西日本の大概の府県を通るツーリングをしました。
燃費も良好で、高速や地方道中心のツーリングではリッターあたり30km以上走ってくれました。ほとんど同排気量の単気筒のバイクと遜色ありませんでした。
当時としてはスーパースポーツのカテゴリに入っていたと思いますが、近年のレーサーレプリカほど前傾姿勢は強くなく、センタースタンドも備えていたので、 スポーツ走行にもツーリングにも適し、チェーンのメンテナンスも容易にできるいい設計でした。
クラッチもハイドローリックで、軽く、微妙なクラッチミートも思いのまま、小排気量の割には低速も太めで(それでいて上まできれいに回るのですから大したものです)、たいへん扱いやすい動力、および動力伝達系を持っていました。
ただ、HONDAが満を持してリリースしたインボードディスクはその触れ込みとはかけ離れたもので、非常にききが甘く、いま思うと危険な部類でした。
もしかすると、きちんとしたメンテナンスを施してあげていなかったことで、本来の性能を発揮していなかったのかもしれません。
もう一つの特徴であるフロント16インチホイールは切れ込みが鋭く、個人的にはもう一回り大きなホイールだったらなぁ、と思っていました。
独身時代にバイクツーリングにのめりこむ扉を開いてくれた1台でした。

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4台目のバイク
就職したからといってバイク熱が冷めるものではありません。
入社当初こそ仕事を覚えることに汲々としていましたが、学生時代の最後にエンジンを壊すほどのツーリングをした時の記憶は消えず、半年もするとまたぞろ虫が蠢きはじめました。
社会人になって変わったこと。
それは、同じように仕事をするのでも、アルバイトに比べて責任が重くなったこと、また、それに相応して手にする給料の額も上がったことでした。
これなら車検がある車両でも維持できるかもしれない(何たる短絡思考...)。
インターネットなどまったく普及していない時代(wwwも1990年起源だったと思います)にどこでどうやって探してきたのか皆目覚えていませんが、東急田園都市線の梶が谷駅から徒歩10分くらいのところ、R246に面した【モトショップ梶ヶ谷】(いまはHPもあります)でよさそうなバイクを見つけました。
YAMAHAのXJ400ZE。2500kmほど走った中古、新古車といってもいい程度です。

KLで高速走行をした時に、カウルがあればどれだけ楽だっただろうかと思い知った私は、そのときから【バイクはカウルが付いた楽ちん姿勢のツーリングバイク】と決めていました。
巷ではレーサーレプリカが全盛の時代でしたが、遠くまで行きたいという放浪癖のある私は、当時からあの前傾の強さには抵抗がありました。
余談ですが、当時保有していた中型二輪免許で乗れるバイクの中で買いたい筆頭候補は同じYAMAHAのXZ400Dでしたが、どうしても出物が見つかりませんでした。
レーサーレプリカ全盛のころのデビューだったのであまり人気がなかったようです。
オリジナルはヨーロッパ向けのXZ550Dで、それを国内メインターゲットの400CC免許に合わせて排気量を落とした車両だったと記憶しています(国内でも550は併売されていました)。

余談ついでですが、この車両が纏っている大きなカウル(当時はフェアリングと呼んでいました)はFRP製のたいへん丈夫なもので、破損しても部分的、局所的修復が可能でした。
水冷のDOHC横置きツインエンジンで、確かシャフトドライブだったはずです。
秀逸なのは、ラジエータで発生する熱をベンチレータから放出して冬のツーリングを快適にする装備で、これを閉じて【暖房】を切ることもできました。
BMWのR1100RTに装備されている(1150RTでは痕跡は残っていますが機能していません)オイルクーラーの熱を利用した温風と同様の装備です。
モトショップ梶ヶ谷で見つけたXJ400ZEは、いまも続くYAMAHAのXJRシリーズ(XJR400はカタログ落ち?)の第2世代。
第1世代は空冷のネイキッドでしたが、第2世代はXJ400の後ろに "Z" が付き、ノンカウルの【XJ400Z】、ハンドルマウントのミニカウルつきの【XJ400ZS】、そしてフレームマウントのアッパーカウルとアンダーカウル装備の【XJ400ZE】という布陣でした。
ZEの佇まいは立派なもので、XZ400Dほどの包まれ感とボリュームのあるカウルにはかないませんが、セパレートハンドルの向こうにフレームマウントされたカウルは十分に大きく、400?としてはひとクラス上の雰囲気を持っていました。
事実上400C.C.が乗れる上限であった当時としては、体格の大きなバイクは若いバイク乗りの憧れでもあり、選択肢の一つでもありました。
水冷DOHCの4気筒エンジン。それまで乗っていたバイクに比べて近代的な、硬質かつ無機質な雰囲気を感じました。
よく回るエンジンに大きなカウルで高速道路走行は格段に楽になり、地方での仕事の時も会社に内緒で乗って行ったりもしました。
しかし、仕事がどんどん忙しくなる中、乗る機会もめっきり減ってしまって、最終的には弟の友人に買い取られていき、あまり多くの思い出を残すことはできませんでした。

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入社当初こそ仕事を覚えることに汲々としていましたが、学生時代の最後にエンジンを壊すほどのツーリングをした時の記憶は消えず、半年もするとまたぞろ虫が蠢きはじめました。
社会人になって変わったこと。
それは、同じように仕事をするのでも、アルバイトに比べて責任が重くなったこと、また、それに相応して手にする給料の額も上がったことでした。
これなら車検がある車両でも維持できるかもしれない(何たる短絡思考...)。
インターネットなどまったく普及していない時代(wwwも1990年起源だったと思います)にどこでどうやって探してきたのか皆目覚えていませんが、東急田園都市線の梶が谷駅から徒歩10分くらいのところ、R246に面した【モトショップ梶ヶ谷】(いまはHPもあります)でよさそうなバイクを見つけました。
YAMAHAのXJ400ZE。2500kmほど走った中古、新古車といってもいい程度です。

KLで高速走行をした時に、カウルがあればどれだけ楽だっただろうかと思い知った私は、そのときから【バイクはカウルが付いた楽ちん姿勢のツーリングバイク】と決めていました。
巷ではレーサーレプリカが全盛の時代でしたが、遠くまで行きたいという放浪癖のある私は、当時からあの前傾の強さには抵抗がありました。
余談ですが、当時保有していた中型二輪免許で乗れるバイクの中で買いたい筆頭候補は同じYAMAHAのXZ400Dでしたが、どうしても出物が見つかりませんでした。
レーサーレプリカ全盛のころのデビューだったのであまり人気がなかったようです。
オリジナルはヨーロッパ向けのXZ550Dで、それを国内メインターゲットの400CC免許に合わせて排気量を落とした車両だったと記憶しています(国内でも550は併売されていました)。

余談ついでですが、この車両が纏っている大きなカウル(当時はフェアリングと呼んでいました)はFRP製のたいへん丈夫なもので、破損しても部分的、局所的修復が可能でした。
水冷のDOHC横置きツインエンジンで、確かシャフトドライブだったはずです。
秀逸なのは、ラジエータで発生する熱をベンチレータから放出して冬のツーリングを快適にする装備で、これを閉じて【暖房】を切ることもできました。
BMWのR1100RTに装備されている(1150RTでは痕跡は残っていますが機能していません)オイルクーラーの熱を利用した温風と同様の装備です。
モトショップ梶ヶ谷で見つけたXJ400ZEは、いまも続くYAMAHAのXJRシリーズ(XJR400はカタログ落ち?)の第2世代。
第1世代は空冷のネイキッドでしたが、第2世代はXJ400の後ろに "Z" が付き、ノンカウルの【XJ400Z】、ハンドルマウントのミニカウルつきの【XJ400ZS】、そしてフレームマウントのアッパーカウルとアンダーカウル装備の【XJ400ZE】という布陣でした。
ZEの佇まいは立派なもので、XZ400Dほどの包まれ感とボリュームのあるカウルにはかないませんが、セパレートハンドルの向こうにフレームマウントされたカウルは十分に大きく、400?としてはひとクラス上の雰囲気を持っていました。
事実上400C.C.が乗れる上限であった当時としては、体格の大きなバイクは若いバイク乗りの憧れでもあり、選択肢の一つでもありました。
水冷DOHCの4気筒エンジン。それまで乗っていたバイクに比べて近代的な、硬質かつ無機質な雰囲気を感じました。
よく回るエンジンに大きなカウルで高速道路走行は格段に楽になり、地方での仕事の時も会社に内緒で乗って行ったりもしました。
しかし、仕事がどんどん忙しくなる中、乗る機会もめっきり減ってしまって、最終的には弟の友人に買い取られていき、あまり多くの思い出を残すことはできませんでした。

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